葛飾北斎という江戸の浮世絵師をご存知の方は多いと思います。「富嶽三十六景」をはじめ、多くの日本の美しい情景を絵に残し、生涯を通じて絵を描き続けた北斎は、まさに日本の表現者の髄です。久米繊維のある墨田区には「すみだ北斎美術館」があり、何を隠そう葛飾北斎は隅田に生まれた絵師なのです。もし北斎先生がTシャツを作ったら……「北斎プロジェクト」の開発者である久米秀幸常務にお話を伺いました。
はじめに申しますと、この「北斎プロジェクト」、まるでロックTシャツのようなクールで前衛的なデザインが施されており、かな〜り尖っています。ただし、それが北斎です。北斎の生き方はまさにロックなのです。久米常務のこだわりをお届けします。
――「北斎プロジェクト」はどのように生まれたのですか?
久米「隅田は葛飾北斎生誕の地であり、久米繊維創業の地でもあります。きっかけとしては隅田のものづくりコラボレーションがあり、そこで赤池学先生(ユニバーサルデザイン総合研究所 所長)が、北斎が描いた昆虫の絵だけを使って生物多様性をアピールするTシャツを作ろうと……」
――北斎で生物多様性……斬新です(笑)。
久米「(笑)。すでに北斎のプリントTシャツは巷にありましたが、画が四角いままプリントされているような簡単なものばかりで、せっかくの素晴らしい絵がもったいなくて、『もし北斎さんが生きていたら、どんなTシャツを作るんだろう』って思っていました」
――もっと北斎の魅力を引き出すTシャツが作れるはずだと。
久米「赤池先生のアイデアをきっかけに北斎さんのことを調べ始めたら、その生き様が猛烈にかっこいいと感じました。江戸の時代で90歳まで生きて、死ぬまで絵を描き続けていた。絶筆に極めて近いと言われている『富士越龍図』という絵が一番かっこいい。死ぬまで絵が上達するというのは多くのクリエイターの方々が憧れることであって、表現者の極地を北斎さんに見た気がしました」
――破天荒な逸話が諸説あるかと思いますが、その中でも印象に残っているのは?
久米「有名なエピソードとしては、北斎さんは生涯で93回引越しをしたそうです。1日に3回も引っ越すことがあったとか(笑)。でも私が好きなのは30回以上名前を変えたというエピソードで、僕たちが知っている葛飾北斎という名は、実は46歳くらいの時に名乗り始めたそうです。その後も名前は変わるのですが。はたまた彼は江戸の隠密であったとか。愛される人が故にたくさんの伝説が残っています。僕がTシャツを作る前に誓教寺という元浅草にある北斎のお墓にご挨拶に行った時に、『北斎の墓』と書いてあるのかなと思ったら、『画狂老人卍の墓』と書かれていて、そのかっこよさにしびれました。この『画狂老人卍』は北斎が晩年用いていた合ですが、『ひたすらに絵に狂った老人』という意味ですよね」
――かっこよすぎますね(笑)
久米「おそらく名前や名声には興味がなくて、ただ絵を描き続けることにしか執着しなかったのではないかと思います。画狂老人と名乗るからには、相当腕に自信がないとできないでしょう。『俺がロックだ』というようなことですから(笑)。北斎さんにはそれぐらいの自負があったのではないでしょうか」
――北斎さんのTシャツを作ることにはどのような意味があるのでしょうか?
久米「社長から話があったかもしれませんが、10年くらい前は、日本人自身が『メイド・イン・ジャパン』にそこまで魅力を感じている時期ではありませんでした。日本のものづくり中小企業が自信を失っている時期でもあって。そんな時に世界で評価されている北斎さんの絵をもとに、今の職人さんと組んでTシャツだけでは無く様々なものを作り、日本のものづくりの元気の旗印になればいいなと思いました」
――絵はどのように選ばれているのですか?
久米「僕とデザイナーさんで選んでいます。でもかっこいい絵がたくさんあって大変です(笑)。そこで一番の基準として『北斎さんだったらどういうTシャツを作るだろう』ということを考えています。江戸時代にTシャツはないですが、もし北斎さんがTシャツをキャンバスに見立ててデザインをしたら、どのようなTシャツになっていただろうかと想像して模索していきます。北斎さんのファンはたくさんいらっしゃるので、絵の色をちょっと変えたり、レイアウトをバラしたりすると人によっては『なんて不届きな……』と思われるかもしれませんので、辛い作業でもあるんです。でも、それを超えていいTシャツが出来上がりお客様に喜んでいただけることが何より嬉しいです」
――実際にTシャツのデザインを見せていただけませんか?
久米「もちろんです。北斎さんにはいろんな絵手本が残っているので、1つの絵で1枚のTシャツというわけではなく、いろんな絵を組み合わせています」
――これは刺繍ですか?
久米「これはプリントです。発泡インクというもので熱を加えると膨らみます。この絵は日本の見立ての文化ですね。縁起のいい藤、花橘、桜を鶴に見立てたという絵です」
――世の中にある和物はチープになってしまうか、過激になってしまうものが多い気がしますが、北斎プロジェクトには日本的な洗練さも感じられますね。
久米「原画を超えることはできませんが、原画を知ってもらうきっかけはTシャツで作ることができると思っています。Tシャツで北斎さんを知って、原画や描かれた風景を観に行くような橋渡しができれば、それは一生かけて誇れる仕事です」
――Tシャツを窓口に日本のいいものを伝えていく。
久米「あとやってみてわかったんですが、北斎さんの絵はすごくTシャツに向いているんです」
――どういうことですか?
久米「線がはっきりしています。また他の浮世絵師の方と比べるとキャラクターが際立ったものが多いんです。プリントTシャツは番号をプリントしたところから始まったという歴史もあるため、Tシャツの中に記号的、つまりメッセージ性のある主役がいると収まりがいい。
これは『百物語』の中のひとつ。これをずっと前からやりたかったんです(笑)」
――バンドTシャツのようなデザインですね!
久米「あとはこのお岩さん。これでデザインをお願いすると、デザイナーさんが怖がって、お参りに行ってきて欲しいと…….結局、僕がお岩稲荷と巣鴨のお墓にご挨拶に行きました。でもお岩稲荷は浮気封じなどで昔から人気があるんですよ」
――四谷怪談ですね。
久米「実はプロジェクトをはじめる時から、Tシャツにするならこの絵だと思ってました。お岩さんを、こう描く事が凄いです。どことなくコミカルで愛らしくもあって、今見ても全く古くない」
――それを経た上でのこのデザインなのですね。
久米「北斎さんの絵はスケボーでもステッカーでも違和感なく収まるから、時代を問わないです」
――背にプリントしたのはなぜですか?
久米「日本の方は表に派手なものを着ることに抵抗がある方が多いから、背のプリントなら手にとっていただけると思いました」
――このラベルが大きくてかっこいいですね。
久米「これはジーンズのお尻についているパッチをイメージしています。この絵は『富嶽三十六景』の「隅田川関屋の里」に描かれた早駆けの馬。この馬も時代を先取りした構造写真のように馬の足に臨場感が出ていますよね」
――このプロジェクトは海外のお客様からの支持が大きそうですね。
久米「おかげさまで海外の方にも手にとっていただいています。日本に来るたびに訪ねてくださる方もいらっしゃいます。空港でも久米繊維のTシャツは販売しているのですが、それをきっかけに錦糸町まで来てくださったり、徐々に増えています」
――北斎を”着る”ということにはどういった意味があるとお考えですか?
久米「好きな対象のTシャツを着るというのは、きっと好きの度合いが一番高いと思います。つまり家にポスターを貼るとか、スマホの待ち受け画面にするとかという好きよりも、Tシャツは身に纏うものなので愛情レベルが一番高いと思うんですよ。その一方でとても気軽なものなので、自分の好きな北斎さんの絵を見つけていただきたいですね。また海外のお客様が多いと言いましたが、空港は日本で最後に寄る特別なお店です。旅の最後にお土産として北斎プロジェクトを選んでいただけることは、それが文化の交流となり、日本文化を後世に繋げる力になると思っています」
――Tシャツは普遍的だからこそ世界へ広がる力となれるのですね。
久米「北斎さんが死ぬ直前まで絵を極み続けたように、このTシャツも妙義を尽くした1枚として、末長く愛されるよう作り続けていきます」
<目次>
第1回 最初で最後の国産Tシャツ、はじまりの下町へ(10月22日公開)
第2回 究極のTシャツ――色丸首を語る(前編)(10月22日公開)
第3回 究極のTシャツ――色丸首を語る(後編)(10月23日公開)
第4回 表現者を”着る”ということ――「北斎プロジェクト」(10月24日公開)
第5回 Tシャツを着て飲む酒は「ヤレタノシ ヤレウマシ」 ――日本酒Tシャツ『蔵印』(10月25日公開)
第6回 久米繊維がTシャツを作り続ける理由(10月26日公開)
第7回 ファクトリーショップへようこそ!(10月29日公開)