2022年2月15日に刊行された文芸誌『MONKEY vol. 26 特集 翻訳教室』は、数多の英米文学作品の翻訳を手がけてきた柴田元幸が、豪華ゲストとともに「翻訳者の机上・脳内で起きていること」をとことん検証した“翻訳”特集です。
ここでは、その刊行を記念して2月23日にオンラインで開催した柴田元幸によるトークイベントでのQ&Aを、WEB用に編集し2回にわけて公開します。
トークイベントのゲストは、シンガーソングライターで中国文学翻訳家としても活躍する小島敬太。柴田元幸と共編訳した『中国・アメリカ 謎SF』を昨年出版し、今号には「翻訳実践演習」の“生徒”の一人として参加しています。
2人には当日答えきれなかった質問にも追加で回答を寄せてもらいました。当日参加された方はもちろん、参加できなかった方も、2人の“声”をぜひお楽しみください。
Q&Aコーナー
Q. 翻訳の際、原文にある表現が日本語での表現に見当たらない場合の解決策というか、解決のためのヒントというのは何かないのでしょうか?
小島 中国の方だったら当たり前のように発想するものが日本では見当たらない、ということはすごく多いので、そういう場合は思考の筋道をできるだけ再現する、ということに気をつけています。そうすると自ずと調べないといけない資料が見つかってくる。例えば中国の場合、老荘思想や儒学などがありますけど、そういう思想や考え方、世界との向き合い方みたいなものを特に去年はすごく勉強しました。そういうものを自分が理解していれば、何かあった時に、当たり前のように「こう反応するな」という軌道が見えてくる。それさえわかれば、それを別の言葉に置き換えることも可能なのかなと思っています。
柴田 それはやっぱり背景がわかっているか、わかっていないかの問題ですね。
小島 そうだと思います。例えば、いきなり目の前に物が飛んでくる。それを正面で受け止める人はほとんどいなくて、無意識にパッと避けてしまうと思うんです。それは多分誰もが想像できることだと思います。そのエモーションの部分をできるだけ共有できるようにする、ということは気をつけています。柴田さんはいかがですか?
柴田 僕も同じようなことを考えていると思います。まず原文の文脈がある。この文脈を日本にもってきた時にこの人は日本語だったらどう言うだろうか、ということを考える。そうすると、まず、どういう文脈なのかがわかるかどうかがポイントなる。その後、それをどういう日本語にするかというのは、比較的技術的な問題かもしれない。最初にその文脈を外してしまうと全然違うものになっちゃうだろう、ということですね。まあ、言うのは簡単なんですけど(笑)。
小島 ちょうど柴田さんが今回の『MONKEY』の「私はなぜまだこれら11本の傑作を訳せないか」というコーナーで、似たようなことを書かれていますね。『モービー゠ディック、または無双の鯨』の解説の最後のところで、「これを克服するには、そのセンテンスで、もしくはその周りのセンテンスも含めて、述べられている諸要素の意味合いをしっかり頭に入れて、日本語の構造に合うように換骨奪胎し、順番はけっこう入れ替わっているけれど全体としてはまあだいだい等価、となるようにしないといけない」と。換骨奪胎して日本の読者でも同じようなエモーションが感じられるようにする、ということでいいんですかね?
柴田 そうですね。この『モービー゠ディック』の場合、主に語順の問題として考えていたんだけど、それは当然語順の問題だけではなくて、どういう言葉を選ぶのかということにも繫がると思います。
Q.『中国・アメリカ 謎SF』(柴田元幸・小島敬太 編訳、白水社)のお二人がせっかくおそろいですので、柴田さん、小島さんの好きなSF作品をお聞きできればと思います。本、映画など影響を受けた作品があれば教えてください。
小島 僕は、中国系だけど作品自体は英語で書かれているテッド・チャンさんが大好きです。一番有名な、映画にもなった「あなたの人生の物語」という短篇も好きですし、「地獄とは神の不在なり」という短篇にもとても衝撃を受けました。天使というか神が出てきて、めちゃくちゃやるんですね。その行為の文脈が人間には理解できない。わかち合えない他者として神がいて、その前で人間が右往左往する、そういう話なんですけど。
柴田 テッド・チャンとかケン・リュウとかあの辺りの中国系で英語で書いている人たちというのは、発想の自由さは中国の伝統みたいなものを引き継いでいて、そこに英語圏の整理上手、組み立て上手みたいなものが、過度に入らずに適当に混ざっていて、すごくうまくいっている気がしますね。
小島 そうですよね。おそらくバックボーンに老荘思想があり、老荘思想は西洋の合理主義とは違って最初から混沌があって自我が希薄という感じがあるんですけど、それが自我が強い西洋文学の中で描いていくとすごく魅力的になるというか。
柴田 うまくブレンドされる。
小島 うまくブレンドされて、西洋圏から見たときに新しいものに見えるのかなとは感じています。柴田さんはいかがですか?
柴田 やっぱり映画の『ブレードランナー』かな。もちろんその原作のフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』やディックの一連の長篇も。あと中学生くらいの頃に読んでずっと忘れずにいるのは、小松左京の『ある生き物の記録』というショートショート集。その中に芥川龍之介の「蜘蛛の糸」のパロディがあるんです。オリジナルでは、お釈迦様が蜘蛛の糸を垂らし、カンダタが上がってくる。もうちょっとというところで下から大勢が来ているのを見て「お前ら来るな」と言ってしまい、そこで糸がぷつんと切れる。ところが小松左京バージョンでは、下からどんどん上がってくるのを見て、ここで下手に怒鳴ったりすると糸が切れちゃうということをカンダタが読んで、そこから大急ぎで上がり切るんです。まさか本当に上がってくるとは思わず、慌てて下を見ているお釈迦様をカンダタがかっと摑み、その勢いでお釈迦様は落っこちてしまい、地獄の池に毎日いるはめになるんです(笑)。その後、すっかりお釈迦様のような心境に至ったカンダタがある日地獄の池を見ると、下でお釈迦様があっぷあっぷしている。「そういえばあの男は私を助けてくれたんだな」と思って、蜘蛛の糸を垂らしてやるわけです。そして、お釈迦様は一生懸命に糸を上がってきて、もうちょっとというところで下を見ると、いっぱい人がいて「お前ら上がって来るな!」と言い、お釈迦様はドボンと落ちてまた下で暮らすことになる(笑)。そういうパロディが子どもの頃から好きでしたね。
小島 パロディといえば僕はダグラス・アダムズが好きです。
柴田 『銀河ヒッチハイク・ガイド』の。
小島 はい。あれもSFのパロディですよね。
柴田 確かにそうですね。
小島 宇宙を探検しているときのすごく好きなシーンがあるんです。銀河の大統領と、イギリスの仮面パーティで出会った大統領の恋人がいて、二人は偶然うまいこと地球の滅亡から逃げることができ、謎の星でとことこと移動する。その大統領がとにかく適当なやつなんです。二人が一緒に歩いていると、女性が「見てあれ。なにかわけのわからない文字が書いてある。これは何かのメッセージかしら」と言ったら、それを大統領が一瞥して「これは単なるわけのわからない文字だ」と去っていくシーンがあって。なにも発展しないんですよね(笑)。
柴田 そうなんだ(笑)。カート・ヴォネガットだったら、一生懸命苦労して解読したら「ハロー」だったとかそういうオチがあるけどね。アダムズはそれやらないですよね。
小島 どこかヌルッとしているというか、前提となる認識そのものをモヤつかせるような感じがありますよね。『謎SF』で柴田さんにアメリカの3作品を選んでいただきましたけど、3作品ともそういう世界観が共通しているなと感じています。例えば、近代的な合理主義でいえば今日より明日は良くなるはずが、そうではない世界というか。深海も潜っていったら何か見つかるはずだけど、そうでもない。そういったことを選ばれた作品に感じています。
柴田 確かにそうかもしれないです。
WEB特別追加質問コーナー①
イベント当日、時間の都合上お答えできなかった質問に、WEB限定で特別に2人が回答します。
Q. 先日、スティーヴン・ミルハウザー『夜の声』の発売記念の、柴田さんと岸本佐知子さんのトークイベントに参加しました。その際に『エドウィン・マルハウス』の「春がめりめりと音を立てて炸裂」という部分の翻訳が素晴らしいという話があり、とても感銘を受けました。同じように、ご自身が翻訳されたものの中で、ややアクロバティックかつ、その英語・中国語表現に適した日本語が選べたという翻訳があれば、是非教えて頂きたいです。
柴田 たとえばエドワード・ゴーリーの絵本のThe Doubtful Guestというタイトルを「うろんな客」と訳したことです。doubtfulは現代英語では「疑り深い」という意味になるのですが、かつては「怪しげな」という意味にもなりました。この本ではあきらかにこっちの意味です。で、その古めかしい感じを出したくて、「胡乱」という今ではあまり使われない言葉を使いました。
小島 『中国・アメリカ 謎SF』の収録作品「焼肉プラネット」のタイトルは気に入っています。原題「烤肉自助星」は直訳すると「焼肉食べ放題星」や「焼肉バイキング星」なのですが、このままだと、原題の持つ軽やかな響きが伝わらないような気がしました。一目見ただけでパロディとわかる怪しげなタイトルの勢いそのままに、初速からフルスピードで最後まで突っ走っていくような爽快感がこの短篇の魅力。日本語としてもインパクトがあり、思わず口に出したくなるような親しみやすさを目指しました。「プラネット」という言葉が思い浮かびましたが、舞台となる星がplanet(惑星)とは限りません。最終的に、本文内に、この星が惑星であることが書かれた部分を見つけ、よかったー、と胸をなで下ろしました。
Q. 柴田さん、小島さんに質問です。初めての著者の作品を訳すときに、気をつけたり、心掛けたりされていることはありますか?
柴田 訳者あとがきで、その作家の全体像をある程度伝えること。逆にいうと、ある人の一冊目の訳書のあとがきでは、言いたいことを一から全部言えるので、書いていてとても楽しいです。
小島 その著者のその作品を、なぜ今、日本の読者に紹介したいのか、自分の中でしっかり言語化できるようにしておくことでしょうか。訳で悩んだときなど、常にそこに立ち返れるように、自分なりの指針としています。
第2回につづく(2022年3月5日公開予定)
<プロフィール>
小島敬太 こじま・けいた
1980年生まれ。シンガーソングライター・小島ケイタニーラブとしてNHKみんなのうた『毛布の日』など。翻訳家として『中国・アメリカ 謎SF』(柴田元幸との共編訳)ほか、2022年には紫禁城を舞台にした児童読み物シリーズ全3巻、および王諾諾のSF短編集を刊行予定。
柴田元幸 しばた・もとゆき
1954年生まれ。翻訳家。著作に『ケンブリッジ・サーカス』『本当の翻訳の話をしよう』(村上春樹との共著)など。最近の訳書にポール・オースター『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』、バリー・ユアグロー『東京ゴースト・シティ』、スティーブン・ミルハウザー『夜の声』などがある。
特集 翻訳教室
1,320円(税込)