7/6(土)J-wave「RADIO SWITCH」の放送の模様をお届けする。
語り手は文芸誌『MONKEY』編集長の柴田元幸。『MONKEY』最新号「猿の旅行記」では、イギリスの作家ブルース・チャトウィンをはじめ、池澤夏樹、川上弘美、バリー・ユアグローなど様々な書き手の旅にまつわる小説やエッセイを掲載した。その中からいくつかの作品を紹介し、旅文学について考える一時間。
(本稿はJ-WAVEラジオ「RADIO SWITCH」の放送を再構成したものです)
こんばんは。文芸誌『MONKEY』編集長の柴田元幸です。6月15日に『MONKEY』第18号を出すことができました。これも皆さんのおかげです。毎号読んでくださっている皆さん、ときどき読んでくださっている皆さん、ありがとうございます。
さて、18号の特集タイトルは「猿の旅行記」です。いろんな旅をめぐる小説やエッセイを集めました。論より証拠、まずは一本、僕が訳した文章を読みます。ブルース・チャトウィンのエッセイ「ティンブクトゥーに行ってます」。Gone to Timbuctoo、1970年に書かれた文章です。
*ラジオでは朗読。お聞き逃しの方は、本誌p.19-、同作をお楽しみください。
チャトウィンという人は、非常にハンサムで、お金持ちの家の育ちで、普通ならそれだけで読む気がしなくなるんですが、そういう人にありがちな、自分が世界の中心だ、みたいな匂いがこの人の場合全然感じられなくて、自分をその場に溶け込ませて、場所自体に語らせる書きっぷりが素晴らしいと思います。
ブルース・チャトウィンについて:本誌ではこの他に巻頭で「僕はいつだってパタゴニアに行きたかった——作家の誕生」(柴田元幸訳し下ろし)と、チャトウィン本人がアフリカ、中東、アジアを旅する中で記録に収めた写真群を掲載している。
もうひとつ、今度は日本人作家の文章を紹介します。古川日出男さんに、ひとつ前の17号から、「百の耳の都市」という連載を始めていただきました。連載をお願いするにあたって、僕たち編集部が出した要望は、「古川版『見えない都市』が読みたい」というものでした。『見えない都市』は、ご存じの方も多いと思いますが、20世紀イタリアの作家イタロ・カルヴィーノが書いた、マルコ・ポーロが東方を旅して見てきたさまざまな都市についてフビライ汗(ハン)に報告する、という体裁をとった小説です。つまりは、13世紀に東方を旅したマルコ・ポーロの『東方見聞録』のパロディというわけです。だから僕たちは、古川さんにその『東方見聞録』のパロディのパロディをお願いしたことになります。
すると古川さんからは、どういう発想が返ってきたか。これが実にあざやかで、「見えない」をひっくり返して「見える」にするんじゃなくて、もうひとつひねって「聞こえる」にする。で、通しタイトルも「百の耳の都市」であるわけです。報告を受けるのは、フビライ汗の代わりに、視覚を持たない天人(エイリアン)の皇帝であり、報告するのは、いまのところ、耳なし芳一の仲間、と言いますか、その名も芳二、芳三、芳四――いまから読む、今度出た号に載った連載第二回の語り手は、芳二十三です。
こちらも本編は、本誌p135-をお読みください(連載第1回「天人五衰」は『MONKEY vol.17 哲学へ』p154-に掲載)。
「陰翳礼賛」は、千手マンハッタン、地蔵クイーンズ、十一面ブルックリンというだけでも充分斬新ですが、そこから演劇というものの本質、そして翻訳というものの演劇性にまで話が広がるところが圧巻です。というわけでこの連載、まだ始まったばかりですでにすごいことになっております。
旅文学を考える
旅をめぐる文章というのは、いながらにして知らない土地に連れていってもらえるのが魅力だと思います。でも考えてみれば、小説や物語というものはみな、知らない時間や場所に連れていってくれるものであって、たとえ書かれている場所が現実においてよく知っているところであっても、その場所のいつもとは違った顔を見せてくれるのだと思います。だとすれば、すべての文学は旅文学であって、ことさら旅の文学、などと仰々しく言わなくてもいいのかもしれません。まあ、とはいえ、ラーメンについて語るのと実際にラーメンを食べるのとではやはり違う、という見方もあります。文字どおりの旅の物語には、やはりそれ独自のワクワク感があるとも思います。旅の物語を特集した『MONKEY』18号、楽しんでいただければ嬉しいです。柴田元幸でした。