大橋仁[生の記憶、性の記録]

昨年、写真家大橋仁にとって4作目、約11年ぶりとなる写真集『はじめて あった』が発表された。それから1年以上が経った今、大橋は “読み語り会”と称した、いわば写真集の読書会をきわめて小規模な形で開催している。写真集を言葉で伝えることの意義を、写真家自身はどう捉えているのか

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TEXT: SUGAWARA GO

 
 2024年6月のある週末、横浜駅に程近い商業施設内のレンタルスペースの一室で写真家大橋仁の最新写真集『はじめて あった』の“読み語り会”が行われていた。3度目となるこの日の参加者は5名。それぞれ手元の写真集をめくりながら、大橋自身による解説に耳を傾けている。途中、「この写真は何に見えますか」といった質問が投げ掛けられることもあり、皆集中して写真の一枚一枚と大橋の言葉に向き合っていく。写真集は240頁におよび、最後の一枚に辿り着くまでのおよそ2時間、参加者は大橋仁という写真家がこの作品に込めた思いを共有し、そこに自らの思いを馳せてゆく。その濃密な時間は、いわゆる一般的なトークイベントやワークショップの類とはまったく趣を異にしたものだった。そもそも本作『はじめて あった』が刊行されたのは昨年3月のこと。発表から1年以上経った今になって、なぜこのような取り組みを彼は始めたのだろうか。
 

「今作に関してだけは、写真集を作っている間も、完成した後も、その正体が掴めませんでした。そこには何か得体の知れない、とんでもないものがあることは感じていましたが、それが何なのか自分でも言語化できずにいて。昨年写真集が完成した後も何度も繰り返し見返していくうちに、ようやく『ああ、俺はこういうことをやっていたのか』というのが見えてきた。そのことをちゃんと伝えたいと思ったのが、読み語り会を始めた理由のひとつです」

—— その一方、“写真家が自らの写真を言葉で説明する”ことについてはどう考えていますか。読み語り会でも「写真集というのは自由に、自分の思うままに見てもらうのが一番で、自分もそれは大前提だと思っている」と話されていました。

「自分にとって写真集は言葉で説明するものではないし、だからこそ写真集なんだ、という考えは今も変わりません。にもかかわらず今回このような読み語り会を始めたのは、その前提を覆してでも自分がこの写真集で表現したことを人に伝えたいと思ったから。その思いの強さが今回は勝ったということだと思います」

—— それを人に伝えるための方法として、きわめて少人数による「読み語り会」というスタイルを選んだのはどうしてですか。

「写真集を出してしばらく経ってから友人と電話で話したんですが、その時に『この写真は一体何なのか』『この構成にはどんな意味があるのか』といったことを色々訊かれて。その質問にひとつひとつ答えていくうちに、相手の反応から『ああ、これは確かに伝わっているな』という手応えが感じられました。翌日友人からLINEが来て『夢を見た。めちゃくちゃな性交の後、相手の唾液が流れ込んできて、その体液が自分の中で海になって自分が消えて虹の海に混じっていった。火山が爆発して宇宙に消えていった。ブッダだね』と書かれていました。ちゃんと伝われば、そのぐらいのパワーがこの写真集にはあると感じました。ただ、それをYouTubeやSNSに上げて説明しても、目の前の人に自分が直接肉声で伝えるやり方には及ばないと思いました。この写真集に宿った魂を伝えたい。産んだなら相応しく生きてほしい。この本に対して生涯の後悔が残らぬよう、行動を起こそうと思ったんです」

—— デビュー作『目のまえのつづき』(1999)では、自殺未遂を図った義父に躊躇なくカメラを向け、二作目『いま』(2005)では産婦人科での10人の出産の瞬間を克明に撮影した。そして3作目『そこにすわろうとおもう』(2012)では総勢300名の男女を自費で雇い、その乱交の中に身を置いてひたすらシャッターを切っていった。どの作品も作り手の真の意図はともあれ、撮ろうとした対象は明白です。それに対して本作『はじめて あった』では一体何にカメラを向けようとしたのか。そして、どのようにしてそれが1冊の写真集となっていったのか、あらためて聞かせてください。

「自分は基本的にコンセプトやテーマを設定することはなく、生活の中での事柄や突然湧いてくるイメージに引き寄せられて撮るタイプなんです。それは最初の写真集から変わっていない。1冊目の時は、ある朝母に叩き起こされ義父の部屋に行くと義父が自殺を図っていた。その状況を撮ったことから始まり、自分の家族、そして自分自身にカメラを向けていきました。2冊目では、仕事で幼稚園に行って園児たちを撮影していたら、子供たちの理屈抜きのエネルギーを浴びて、彼らがこの世に出てくる瞬間を見たくなった。3冊目も仕事でタイを訪れた際に、売春宿の女性たちの発する強力なエネルギーを感じたことが始まりでした」

—— では今回の写真集の始まりは、いつ、どのようにして。

「原体験を遡れば、14、5歳の時の彼女の穿いていた下着だったのかもしれません。それから20数年後の40歳手前頃に、ふと自分の“性癖(性的嗜好)”について考えたことがあって。というのは、なぜかその頃からやたらと女性の下着に執着するようになり、恋人とセックスしている時、相手が全裸よりも下着をつけた状態の方が自分は強く興奮することに気付いた。しかも、その下着の色や柄によって自分の感じ方が全く変わってしまう、一体なぜこんなことが起こるんだろうという純粋な驚きが最初にあって。そこから考えをめぐらせていくうちに、性癖というのは生命の根元に深く関わるものだと気付きました。そもそも性欲がなければ人間にかかわらず生物は種として存続できないわけで、性癖と性欲はイコールと言っていいかもしれない。視覚から入って来る女性の下着の色や柄、質感が自分の脳に性的興奮の作用をどう起こしているのかを考えるうちに、自分の脳で起こっている同じ作用が昆虫達の中でも起こっているのでは、と。昆虫は視覚的な刺激作用によってその体皮の色や柄、質感をも変化させ種の保存と進化を繰り返してきた。種の存続を賭け、繁殖し続けるために自らの性欲=性癖に従順に生きてきたわけで、人である自分と昆虫は同じ視点で異性に対峙していたことになると思いました。そうやって自分の性癖にレンズを向ける中、時期を同じくして母親の死に直面することになりました。入院している母親が日に日に弱っていき、生命が尽きようとしている一方で、自分はセックスにおける起爆装置、命の爆発を引き起こす性癖というものに取り憑かれて写真を撮り続けている。その時、大きな命の輪廻を期せずして感じてしまって」

—— 初めから写真集ありきではなく、一点一点の写真を積み重ねるようにして作られていったと。

「そうですね。普段は撮った写真を見返すことはほぼなくて、自分の命が反応するものだけをひたすら撮り続けているだけで、数年に1回、気分的にまとめようかなというタイミングが来る。それで、母親が亡くなってしばらくして、それまで撮り溜めた写真を見返しました。そこにはひたすら下着を撮った写真、昆虫の写真、そして母親にまつわる写真が膨大にあった。それに加えて写真集の後半に収録した、車を運転する人達の写真もずっと撮り続けていたので、それらを1冊の写真集としてまとめていく作業に入っていきました。母親が亡くなったのが今から6年前なので、その頃からです」

—— 今話されたように、本作の後半では車を運転している最中の人を撮ったパートが長く続きます。

「以前から、撮影されていることを一切意識していない状態の人を写真に撮りたいと思っていて。その状態を自分は“無意識”と言っていますが、そんな“無意識の人々”を撮っていったのが運転者達の写真です。自分自身そうした無意識によって生かされ、写真を撮り続けてきたという実感があります。人は意識がある状態のことは理解できて信じられるのですが、無意識の状態で選択したことの重要性には目を向けたがらない。無意識の選択こそ、その人の命が選んだものであり、結局は理屈ではなく“好み”という無意識の選択に帰ってしまう。つまり意識は無意識によって動かされていると思うんです。社会で生きていくためにはもちろん意識も理屈も必要なものですが、作品を撮る上で自分は理屈は排除しています。今までの自分の写真集の全てが無意識の反応で撮り、構成してきたと言ってもいいと思います」

—— 本作の発表から1年以上が経った今、あらためて自身の中で見えてきたものとは。

「こうして読み語り会などで人と対話する中でようやくこの写真集の全体像が見えてきたんです。私を産んだ母の死で呼び覚まされた個的な母子の命の記憶と、己の性癖を起因とした生物としての生命の記憶が、この写真集の中で交錯し、生と死の賑やかで、ド派手な命の祝祭が繰り広げられている。自分はそれを撮影し構成していたんです。誰しも自分を産んだ母がいる。生きる限り性欲=性癖がある。あなたにとって命の記憶とは、性癖とは、生きるとは、死とは。この写真集を読者自身の命の鏡として使ってほしい。この写真集はあなたの本。この本と自分の命の姿を見比べ、眺める為の道具として使ってもらえたら本望です」

(プロフィール)
大橋仁 1972年神奈川県生まれ。写真家。92年“キヤノン写真新世紀”優秀賞受賞(荒木経惟選)。写真集「そこにすわろうとおもう」は2013年パリフォト(パリで開催される世界最大の写真集の見本市)にて、その年に世界で出版された写真集のトップ10に選出される。音楽ジャケット、MV、広告、雑誌等で活躍

PHOTO BOOKS

Foxfire True to nature Vol.17 古屋学
『はじめて あった』 2023
前作から約11年ぶりに刊行された現時点での最新写真集。過去の3作がそれぞれ「自死」「出産」「乱交」と、生命そのものと明確に接続できる言葉で表すことができるモチーフだったことに比べ、本作で大橋がまず向き合ったのは「性癖(性的嗜好)」という、これもまた生命に繋がる、しかしどこか掴みどころのないものだった。そんな「性癖」を生命の根源と捉えた大橋は、様々な色や柄、素材の下着を執拗に撮り続けるうち、鮮やかな甲殻や翅を持つ数々の昆虫の生態に、生物としての自らを重ねていく。続くパートでは実母の死を軸に大橋の見た過去と現在がシャッフルされ、幾重にも折り重なった記憶の階層が描き出される。そして、それらを生み出したすべての原点とも言える人間の「無意識」の領域を捉えるべく、数年にわたり撮り続けたプロジェクトが延々と繰り返し展開されてゆく。大橋の考える「人間の本質」に最も迫った、写真家大橋仁の集大成とも呼べる1冊。
大橋仁写真集『目のまえのつづき』書影
『目のまえのつづき』
1999
 
鮮血で真っ赤に染まった布団と荒木経惟による「凄絶ナリ。」の文字。義父の自殺未遂現場に遭遇し、“無意識”でひたすらシャッターを切った瞬間から、大橋仁の写真家としての人生は途轍もないスピードで動き出していく。
大橋仁写真集『いま』書影
『いま』
2005
 
幼稚園児たちの放つ生物としての圧倒的なエネルギーを写真に収めていくうちに、その「誕生の現場」にまで突き進んだ第2写真集。劇的な瞬間を劇的に描くのではなく、あくまで日常の一場面として大橋は切り取って見せた
大橋仁写真集『そこにすわろうとおもう』書影
『そこにすわろうとおもう』
2012
 
作品を重ねるごとにより強く生の根源へと引き寄せられた大橋は、本作で文字通り性の営みの只中に身を置き、その本質を掴み取ろうとする。自費数千万円を注ぎ込み制作された本作はかの「パリフォト」でも高く評価された

*写真集『はじめて あった』は公式ショップ他にて購入可。読み語り会については大橋仁公式XまたはInstagramに随時掲載