髪の毛を頭のてっぺんでちょこんと結び、ビーチサンダルに、短パン姿で現れた、南方写真師タルケンさんこと垂見健吾さん、今回、初めて会うのだけれど、随分前から知っているような感じがして、とても楽しい気持ちにさせてくれました。
その日、タルケンさんは沖縄からやって来て、お土産に、パイナップルを持ってきてくれまして、このパイナップルが美味しかった。「うまいうまい」言いながら食べていると、「そうだろう」とニコやかな顔をしております。
タルケンさんと話していると、とても心地が良くて、これは旅先で知らないおじさんと仲良くなって、楽しく酒を飲んでいるような、あの感じに似ていると思いました。
それでは、長野県の山の中で生まれ、現在は沖縄在住約三十年、どこに居ても、すでにそこに居るみたいな、タルケンさんの魅力を探っていきます。
(戌井昭人・記)
「お生まれはどこですか?」
「長野県、信州、木曽谷です」
「山の中ですね」
「そうです。岐阜県の県境まで五キロくらい、走っていけちゃう。中津川フォークジャンボリー、あそこの近く。山に囲まれて、日本のチベットとか言われてたからね。とにかく山ばっかだよ」
「その山の中で、タルケンさんは元気に育った」
「猿と遊んでたから。柿食って、猿に石投げて」
「猿と喧嘩してたんですね」
「猿はさ、背中を見せると攻撃してくるから、学校の行き帰りとか大変だよ。とにかく走りまわってた。蜂の子を捕ったり。網で鳥を捕って、羽むしって焼鳥にして食ってたな」
「野生児ですね」
「それくらいしか、動物性タンパク質がなかったから」
「他には、どんなものを食べてましたか」
「ヤギの乳だね。でも乳搾りをやってると蹴ってくるんだよ。子ども心に怖かったな、ヤギは」
「実家は、なにか商売をやってたんですか」
「祖父と父の代まで製材業をやってた。山だからね」
「山から木を伐って、角材とかにするんですか?」
「そう、板材にしたり」
現在は沖縄在住ですが、昔は、とにかく生粋の山っ子だったタルケンさん。
「山は、Vの字になってるでしょ」
「Vの字?」
「Vの底に川が流れて、谷になってる」
「はい」
「だからさ、九時くらいに陽が昇って、四時には沈んじゃうんだ」
「山に遮られてるから、陽が昇るのが遅くて、沈むのは早い」
「そう。日中が短いんだ」
そんな短い日中を惜しむかのように、遊びまわっていた垂見さん。
「『ギャートルズ』って漫画あったでしょ」
「はじめ人間、ゴゴンゴーンですね」
ギャートルズとは、骨ついた大きな肉をいつも食べているのが有名な、原始時代の人間を描いたギャグ漫画です。
「そうそう、まさしくはじめ人間、アレだったよ。肉をぐるぐるしなかったけど、魚をぐるぐるしてた。魚は手づかみでね」
「遊びと狩りが直結してる感じですね」
「そうだね。あと、蜂の子捕るのは、とにかく面白かったね」
「どんな風に捕るんですか?」
「子ども達だけじゃ捕れないんで、おじきとか兄ちゃん達と一緒にやるんだ。まず蛙を捕まえて、モモを裂いて、ササミ状の繊維質のところを真綿につけるんだ。それを伸ばして置いておくと、蜂がやってきて、食うんだ」
「それを食べた蜂が飛んでくと真綿がついたままんでですね」
「そう。その蜂を子ども達が追いかけるんだ。で、兄ちゃんたちが、後ろからやって来て『どこ行った?』って、そこに蜂の巣がある」
「それから?」
「次は新聞に火をつけて、セルロイドに火をつけて、巣のある穴の中に入れちゃうんだ」
「燻すんですね」
「そう。すると蜂は、ほとんど仮死状態になるの。でも巣に帰ってくる蜂もいるから、そいつらに注意しなくちゃいけない。で、何分か燻して、掘り出して、ビニールに入れて持ち帰る。でも蜂がついてくるんだ、それを避けながらね」
「逃げるんですね」
「みんなバラバラに逃げるんだ。まとまって逃げると攻撃されるから」
「それは、どうやって食べるんですか」
「蜂の巣は六角形のハウスがあるから、そこを針で、 チュッチュッチュとやって取り出すの、中に蜂の幼虫がいてね。ものすごい栄養の詰まったやつだよ。それを集めて、お母ちゃんに渡すと、砂糖と醤油で煮てくれて、ご飯に入れて炊き込みご飯だ。蜂の巣はパイ状の断層になってるんだけど、その中に柔らかい幼虫からちょっと固くて黒っぽい成虫に近いものまで、整然と並んでいるんだよね」
「成長してるんですね」
「そうなんだよ。でも、そういうのも食うけどね」
「タンパク源ですもんね」
「あとは、さっきも話したけど鳥だね。よく鳴くメスの鳥を友達が持ってたから、それを連れてくと『ピュー』っとオスが飛んで来るんだ。それで学校から帰る頃は、かすみ網のなかで、鳥がグチャグチャになっててね、それを解いて、手の中で頭をプチっとまわすと、ウンコが『ピュー』っと飛んで、絶命するんだよ」
「ウンコ飛ぶんですね」
「そうなの。それから河原に行って、羽をむしって、家に持って帰って、料理してもらうんだ」
「美味しいんですか?」
「美味しいですよ。その鳥を捕るのを商売にしていた人もいたな、おれが小学生の頃は」
「かすみ網は、そのとき、もう違法だったんですか?」
「そうだよ。山の上の方に張ってさ、警察が来ると」
「撤去する」
「でも山の奥の方だから、警察なんて来ないんだよな」
はじめ人間の生活を続け、中学時代も山を走りまわっていたタルケンさん、高校生になります。
「高校は町までバスで通ってた。長野県立蘇南高等学校。そこには自分たちの集落じゃない人もいたし、汽車も走っていた。木曽川があって、水力発電があるんです。水力発電は、福澤諭吉の婿養子で福澤桃介ってのがやってて、その人は中部電力の電力王って呼ばれてた」
「水力発電はダムですか?」
「川を堰き止めるんじゃなくて、水をグォーッと山の上にあげて、一気にドーンと落とすんだね。とにかく、発電事業が盛んだったんだ」
「昔、長良川で見たけど、ぶっといパイプが山から下りてるやつですかね」
「そう、それだよ。シンプルな発電だね。黒部ダムみたいのじゃないよ。あんなことしたら、おれたちの集落全部水の底だよ」
「そうですよね」
「部活はやってましたか?」
「中学高校は陸上部にいたんだ。でね、1964年の東京オリンピックに出たんだ」
「え?」
「聖火ランナーの付き添いだけどね」
「伴走ですか?」
「そうなんだ。学校の先輩の女子が高校の新記録を持ってて、彼女が、聖火ランナーで走ることになったから、その伴走だね。それでメダルも貰ったんだ。金銀銅ってメダルがあるでしょ。おれが貰ったのは鉄だった。でもデザインが一緒だった」
「伴奏でもオリンピックを体験したんなら、将来は、スポーツの道に進もうと思っていたくらい、陸上にのめり込んでたんですか」
「そうなんだ。勉強は嫌いだったけど、だから体育の先生になろうかと思ってたんだ。でも甘かったね。県大会に行ってもビリッケツだしさ。それで、高校三年の時にスポーツはやめて、そうだ美術だ、美術に行こう、と思ったんだ」
「突然、美術へ」
「だって勉強嫌いだから、体育か美術しか選択がないんだもん。それに、たまたま親父の従兄弟にデザイナーがいたんだ。新幹線の椅子とか把手とかデザインしてたの」
「工業デザインですね」
「当時渡辺力先生の事務所に勤めていた、垂見健三というデザイナーで」
渡辺力さんは、ジャパニーズデザインのパイオニアと呼ばれていた、日本のデザイン業界の重鎮です。
「でね、デザインに行こうと思ったんだ。コレしかない、なんとかなるんじゃないかなと思って、でも美大は無理だから、そうか専門学校だと。それで、かろうじて補欠で桑沢デザイン研究所に引っかかったんだ」
「補欠?」
「そうなんだ、一回落ちたんだけど、すくい上げでひろってもらったの。それで、東京に出てきたら、同級生が、おじさんおばさんなんだ、ほとんど年上でさ」
「みんなは、大学出たりしてから入学したのかな」
「そうなんだよ」