ユースケ・サンタマリアさんとは、今回のスイッチインタビューをする前に、一度お会いしたことがありました。それは2013年に行われた、シティボーイズの公演『西瓜割りの棒、あなたたちの春に、桜の下ではじめる準備を』に、わたしが出演していたときで、公演の後、ユースケさん(サンタマリアさんを、以降省略させていただきます。すみません)が楽屋に来てくださり、共演していた、いとうせいこうさんが「戌井くん」と、ユースケさんに紹介してくれたのでした。
そのときユースケさんに、「戌井さん知ってますよ。『情熱大陸』観ました」と言われたのですが、まさかユースケさんが、わたしのことを知っているなどと思ってもいなかったので、嬉しいような、恥ずかしいような気持ちになりました。それで、いとうせいこうさんに「ユースケさん、どういうわけか自分のことを知ってましたよ」と話すと、「ユースケは、そういうのいろいろ知ってるんだよ」と話していました。
そこでユースケさんは、どのようなものが好きで、どのような感じで、いままで活動してきたのか、興味深く思っていたのです。そんなこんなで、今回、お話をしていたら、テレビで見る、明るくて面白いユースケさんを垣間見せながら、その奥に、なんだか凄みのようなものが見える気がしました。ちなみに、ユースケさんは、末井昭さんの本『絶対毎日スエイ日記』が好きで、何度も読み返し、トイレに入るときはページを適当に開いて読んでいるとのこと。ではユースケさんの、なんだかわからないけれど凄みを感じさせるインタビューをどうぞ。
(戌井昭人・記)
「ぱっと思い返しても、子供の頃の記憶は、あんまり無いんですけど」
「でも皆さん喋ってるうちに、だんだん思い出してきますよ」
「そうですかね」
「で、生まれたところは?」
「大分県、大分市、芦崎ってところです」
「海の方ですか?」
「海です。うちの母方は漁師をやっていて、歩いて一分くらいで海でした。そこは道幅が狭くて車も入って来れないところで、火事になったら大変なようなところでした」
「学校へはその狭い道を」
「そこが通学路でした。いま考えたら凄いところだったな」
「海が近いから、遊びは、海に飛び込んだり」
「いや、海が汚くて。ちょっと行って、テトラポッドのある立ち入り禁止区域は綺麗なんですけど。だから海で遊ぶ時は投げ釣りでした。小学校の低学年のときに海釣りブームがありまして」
「『釣りキチ三平』とか」
「それはもうちょっと前で、『コロコロコミック』でやってた、『釣りバカ大将』とかの影響です」
ユースケさんとわたしは、ほぼ同学年で、当時の小学生は「コロコロコミック」の影響が多大でした。「あとは『ゲームセンターあらし』の“炎のコマ”とか」「お母さんがボインで、おっぱいゆらして」「歯でボタンを押したり」などなど話は尽きず。他にも「少年ジャンプ」の影響も多大だったことを話すと、「ジャンプはもう買ってないでしょう?」とユースケさんが訊いてきました。「はい、さすがにもう買ってません」。
「俺は、いまだにジャンプを買ってます。自分でも馬鹿なんじゃなんかと思ってますけど、『ワンピース』とか最初から読んでるから止められない。いまは三つくらいしか連載を読んでないんだけど、まさか四十六歳になって『少年ジャンプ』を買い続けてるとは、当時の俺も思ってなかったです」
「子供のころは、煙草屋がジャンプを早く売り出すとかで買いに行ってました」
「酒屋とかね。金曜日に売り出したりして、でもいまは普通に月曜日に買ってます。なんだか前より待ち遠しくないんだけどね」
「でも買ってしまう」
「そうなんです」
「話は戻りまして、釣った魚は食べてたんですか?」
「食ってました。自分でさばいたりして、あとは焼き倒して」
「焼き倒し」
「そう。焼き倒したなら大丈夫かと。キスとか釣れました。あと、ボラとか食ってました。本当は、ボラなんて食わないでしょ?ボラを釣る針は四つの返しがあって、そこに丸めただんごの餌を付けるんだけど、あの針は危なかった」
「どんな風に危なかったんですか?」
「友達が投げた針が、いつまでたっても海に浮かばないんで、『お前の針どこだ?』って言ったら、後ろにいた酒屋の息子の友達の太ももに刺さってて、針は返しがあるから取れなくて、病院で切ってもらったりしてました」
「危ない」
「いま思えば危険ですよ」
危ないことがありつつも、子供時代は、元気に海で遊んでいた様子のユースケさんですが。
「僕ね、いまは海が苦手で、行くのも嫌なんです」
「そうなんですか」
「テトラポッドのフジツボとか気持ち悪くてね。歳をとるにつれ、いろんなことが大丈夫になっていくと思ってたら、自分は歳をとるにつれ、いろんなもんがダメになっていくんです。いまは温泉とかも気持ち悪い」
「温泉も」
「あの湯船、底を洗うとかないじゃないですか。僕は大分出身だから、近くに温泉たくさんあったんですが」
「温泉だらけですよね」
「でもね。素っ裸で男同士で入るのとかも嫌です。当時は入ってたけど。でも楽ですよ。海とか南の島に行きたいとも思わないし、温泉も行きたいと思わないし。大人になったら大概のことがOKになるのかと思ったら、狭くなっちゃった。海外旅行も大嫌い。移動とか駄目です。新幹線で大阪行くのも、クタクタに疲れます。車の移動も駄目になってきました」
なんだか、わかるようなわからないような。しかし、狭くなったそこにユニークさが生まれてくるようにも思えてきました。
「高校のころは、そういう状態ではなかったんですよね?」
「普通でした。ただ学校が嫌いだった。卒業式のときは『やったー!』って思いましたもん」
「部活は?」
「中学は軟式テニス部です。でもあんなの大人になってやらないですよね。僕は坊主にしたくなかった。野球部やサッカー部は坊主にさせられてたから。テニスなら軽い長髪みたいなイメージがあるじゃないですか」
「そうですね」
「でも入ってみたら、一年坊主、二年坊主、三年自由。仕方ないから坊主にしたけど、我ながら坊主が似合ってなくて、当時は、吉川晃司さん、デュラン・デュラン、チェッカーズが全盛、それで髪の毛を伸ばしたくて辞めました。僕、いまでも、よっぽどこの役やりたいと思わないかぎり、坊主役は断ります。逆に髪型なんかどうだって良いって俳優さんは凄いと思います。戦争ものの映画とかだと、坊主にしてくれってなるでしょ、俺はやりたくないです」
「あれま」
「だから自分で、いまだに役者だって名乗れないのは、そんな覚悟がないからなんです」
けれども、役者としても、いい味出しているユースケさんであります。逆に、絶対坊主にならないという覚悟が、いい味になっているのかもしれません。
「でもって小学六年の時にプチ引っ越しをして学区が変わったんだけど、僕は小学校を変えなかったんです。遠かったけれど通っていて。それで中学になって、その学区の学校に通うことになるんだけど、最初は友達がいなくて」
「小学校から一緒に中学になる友達がいなかった」
「そうです。その学校は不良校で『スクール・ウォーズ』みたいだったんです」
「卒業式で、不良が暴れたり」
「くわえ煙草で将棋指してたり」
「凄まじいですね」
「時代性もあって、不良が流行ってた。でね、学校に一回ワイドショーが来たんです。いつもバッドを持ってた体育の先生がいて、その先生が唯一不良に怒ることができたんです。でも持ってるバットは殴るんじゃなくて、素振りする体力づくりのためだったんです。そこをね、不良がワイドショーに売り込んだんです。『暴力教師がいる』って。それでワイドショーが来て、レポーターが『あなた暴力振るってるんでしょ』って、バッド持っているのを隠し撮りして、それがオンエアされて。まあ、ひどい学校だったんです」
時代もあったかもしれませんが、これは悪質であります。