高校に入ってボイストレーニングをはじめた優河さん、どのような感じだったのでしょうか。
「ボイトレは吉祥寺で?」
「東小金井です」
「吉祥寺から少し離れましたね」
「はい」
「でも近いし、都心方面では無い」
「そうなんです」
「他には、何をしてました」
「あとは、ずっと遊んでました」
「遊びは中学と変わらず?」
「そうですね」
「カラオケ、ゲーセン、喫茶店」
「ちょっとメンバーが変わったくらいかな」
「カラオケで、『これ歌ってよ』とかならなかったんですか?」
「でも、わたしが歌うと、静まっちゃうんですよ。盛り上がらない。だからあまり歌いたくなくて。それが嫌だったんです」
学校の皆を、シーンとさせてしまったくらいの歌声。
友達とワイワイやってるカラオケで、優河さんが歌うと、いったいどんな風になってしまうのだろう。覗いてみたい気もします。
「ボイトレの成果は?」
「音域が広がって行くのがおもしろかった。先生にも、もっとやれば、もっと出るよって言われて」
「そうすると、さらにカラオケで静まり返っちゃうかもしれない」
「はい。でも自分では、歌が上手いとか思ったこともなくて」
「良い声だとも?」
「はい、良い声ってのがわからない、みんな同じ声だと思ってました」
「そうなんですか」
「というか、あまり音楽に興味がなかった。バンドも人に言われてやってたし、ボイトレも母に言われてだし。だから自分がこの音楽好きというのが、いまでもあまりなくて。なんだろう。音楽に対して、この人の声が良いとか、歌詞が良いとか、そういうことがまったくわからなかったんです」
吉祥寺でおしゃべりをして、楽しく過ごしていた高校時代の優河さん。しかし高校生2年生のころ。
「高校二年生のときに留学して、オーストラリアに1年行ってました。そこで音楽の授業があって、ギター弾いて歌ってる女の子がいたんですけど、彼女を見て可愛いな、格好いいなと思って、わたしもギターをポロポロって弾きはじめたんです」
「そんな感じで、楽しそうな留学生活が」
「でも、ホストファミリーとうまくいかなくなってしまって」
「どのようにうまくいかなくなったんですか?」
「半年間無視されてたんです」
「半年も!」
「最初の半年は良かったんですけど」
「どうしてそうなってしまったんですか?」
「ホストマザーのお母さんが亡くなったんです。そのときからホストマザーが、精神的に不安定になって、わたしに対して素っ気なくなったんです。それを見たホストシスターの双子が、お母さんの真似をして、無視をはじめて」
「それはキツイですよね」
「辛かったので、ホストをチェンジすることもできたんです。相談役の人がいて、その人に相談すればよかったんですけど、その相談役の人が、わたしに、『他の子が、チェンジしすぎる』って話してて、何も言えなくて」
「困りました」
「でも学校は楽しかったんです。それに『いま辛い状態なんだ』って、先生や友達に話してたから、英語は上手くなりました」
「留学を終えて日本に戻ってきたら、どうでした?」
「あまり元の友達と話せなくなってました。だから『優河変わったね』って、友達に結構言われてました。でも変わりますよね」
「そうですよね」
「それで日本に帰ってきたのが、ちょうど3学期で、うちの学校は、その時期、受験のための期間で授業が無いんです、だから学校にも行かなくて、外にも出なくて、家でずっと泣いてるという時期が3カ月くらいありました。さらに、お兄ちゃんも妹も留学してたんで、家では、はじめて一人っ子状態になって、赤ちゃん返りみたいになっちゃったんですね。親に甘えられる、わがまま言いつくせるって。そして泣き尽くしてたら、いまの優河が誕生したんです」
「それは何かから、抜け出した感じだったのかな」
「はい。そこから性格も変わりました」
「新生・優河になったきっかけは?」
「高校を卒業したら、どうしようか決めてなかったんですけど、友達が音楽の学校に入るので『優河も行ってみれば』って言われて、その4日後に入学してました。そこから変わっていったような気がします」
「変わったのは、どんなところが?」
「それまでは人を信じないというか、人の顔色ばかり伺っていた気がします。両親が芸能の活動をしていて、それで見られることが多かった。それがコンプレックスでした。だけど、そのコンプレックスから抜けて素直になっていった」
「なるほど」
「人に甘えられるようになったというか、無理なものは無理と言えるようになりました。あとは単純に人と話せるようになったのかな」
「壁を作らずに」
「はい」
「じゃあ新生になったから、音楽の学校は相当楽しかったのではないですか?」
「そうです」
「場所は?」
「池尻大橋です」
「吉祥寺を抜けましたね」
「はい」
「学校ではどんなことを?」
「そのときは、カバーしか歌ってなかったんですけど、あるとき先生に、『お前は歌えるのに、自信なさげで、ムカつくな』って言われて、『曲作ってこい』って言われたんです。それで作っていったら、『まだムカつくな、ギターでも弾いてこい』って言われて、ギターも弾きだして」
「先生に言われて」
「そう。『なんかお前気に食わない』って言われて、やっぱり人に言われて、いろいろはじめて、自分で決めてないような」
「でも先生のその言葉で、曲を作り出したんですもんね」
「はい」
「最初に作った曲は?」
「ラブレターという曲です。恥ずかしくて、いまは歌えないです」
「その後、どんどん作ってくんですよね」
「そうです」
「ライブとかは?」
「最初は、小さいところで、友達とやったりしてました。それで、高校時代から習っていたボイトレの先生が、サラヴァ東京というお店ができたから、そこのオープンイベントのオープンマイクで歌わないかと言われて、歌ったんです。そしたらアツコ・バルーさんというオーナーの方に、『あなたここで働きながら、ちゃんと音楽やりなさい』って言われて。それで学校に通いながら、バイトしてました。そこからサラヴァ東京をメインにライブをやるようになります」
人前で歌い出した優河さん。
優河さんは、人に促されてというけれど、あの歌声は、歌うべき歌声であったのかもしれません。
さらに誰でも、優河さんの歌を聴けば、他の人にも聴いてもらいたいと思ってしまいます。
「ストリートとかで歌ったりは?」
「1、2度、吉祥寺で歌ったことがあります。自分の歌でお金をもらえるだろうかと思って」
「場所は?」
「井の頭公園」
「吉祥寺だ。結果は?」
「お金はもらえなかった。でも、おじさんが一人話しかけてきて」
「そのおじさんは、どんな人だったんですか?」
「おれはギター作ってるんだと」
「ギター作ってる人だったんだ」
優河さんが井の頭公園で、さりげなく歌っていると、自然に紛れ込んでいるような感じがして、どこにいるのかわからなくなってしまいそうです。
「でも、そのころは、今の声と違って、もう少しべたっとしてました。奥行きがなかった気がします」
とにかく歌いはじめ、歌を作り出した優河さん。どのようにして歌を作っているのでしょうか?
「歌詞の着想は?」
「まず景色がはじまりですね。あとは、ピンと来る人がいたら、その人の人生を想像して書いたり」
「その人の物語を勝手に考える?」
「そう、勝手な物語です。その人のふとした表情とか、ボソッと言った一言から物語を作っていく感じもあります」
世の中には、優河さんの歌を聴きたい人が、まだまだ沢山いるはず。
あの歌声が、いろいろな場所で流れているのをわたしは聴きたい。そして、その場が少し静まってしまうのを。でも、そのとき我々は、とても清々しい気持ちになっていることでしょう。これからも、どんどん歌を作って、いろいろな場所で、歌を唄ってください。
優河 1992年生まれ。シンガーソングライター。心震わせる歌声は注目を集め小島ケイタニーラブやおおはた雄一など、多くのスタジオレコーディングに参加。また待望のニューアルバム『魔法』を3月2日にリリースすることが決定。千葉広樹(Kinetic、サンガツ、rabbitoo等)、岡田拓郎(ex.森は生きている)やharuka nakamura、神谷洵平(赤い靴)らといった実力派ミュージシャンとエンジニアの田辺玄を迎え、エレクトリックな楽器やサウンドを取り入れることによりこれまでとはひと味違った作品に仕上がっている。アルバム発売を記念して4月13日には渋谷 QATTROでのワンマンライブも決定している。
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戌井昭人 1971年東京生まれ。作家、パフォーマンス集団「鉄割アルバトロスケット」の旗揚げに参加、脚本を担当。『鮒のためいき』で小説家デビュー、2013年『すっぽん心中』で第四十回川端康成文学賞、16年『のろい男 俳優・亀岡拓次』で第三十八回野間文芸新人賞を受賞。最新刊は『ゼンマイ』