「中学は、またバレー部に入ってしまいました。結局、高校3年までやっちゃうんですけど、小中高とバレーボールをやってわかったのは、自分に、バレーボールは向いてないってことだった」
「なんだそりゃ」
「8年かけてわかった。でも、大学にもバレー部があって、人が足りないからって行くようになるんですけど」
「体を動かすのは好きだった」
「動かしてる時はどうなんだろう?って思ってたんだけど、大学卒業して、運動しなくなったら、具合が悪くなった、情緒とかも不安定に」
「じゃあ動かしてる方が調子がいいんですね」
「はい」
「漫画の方は?」
「漫研があって、そこに入って4コマ漫画を描き始めました。漫研の先輩は癖のある人ばかりで、『オヌシやるな』みたいに喋る、いわゆるオタクっぽい人ばかりでした。その頃は、世の中がバンドブームで、音楽を聴いてました。っていってもその前から音楽は聴いてたな。幼稚園の頃は、ユーミンが好きで、ユーミン聴きながらスピリッツ読んでた」
「大学生みたいな幼稚園児」
「ユーミンが好きで、初コンサートもユーミン。しかも八王子市民会館」
「ユーミンは八王子で、多田さんの実家も近所」
「そうなの、だから親も、娘はユーミン方向にと思っていたみたい。さらに多摩美に行くから『同じになった』って喜んでました」
「それで中学時代は、どんな音楽を?」
「中学の頃は、ピーズ、真心ブラザーズ、カステラとか。でもフォークも好きで吉田拓郎も聴いてたな、チューリップとか甲斐バンドとか。ユーミン、五輪真弓、EPOは親が持ってたカセットでよく聴いてました」
「一方では、ニューミュージックだったんだ。でも周りの友達は、そこらへん聴いてなかったんじゃないの」
「そうです。それでバンドをやり始めます。中学から、ピーズを好きな2人がいて、その子達は、中学2年なのに、ギターもベースも上手で、あとはドラムだけだと。それでピーズもドラムやったことない人がやってるから大丈夫だと誘われて」
「ウガンダだ!」(ピーズの2代目ドラマー)
ピーズは3ピースのバンドで正確には「THEピーズ」、わたしも大好きなバンドです。ボーカルはハルさん、ギターはアビさん、ドラムはメンバーチェンジを数回。男子の情けなさや悲哀を歌うロックバンドで、ハルさんの歌詞がとくにすばらしい。などとこのままでは、ピーズの説明が長くなるので止めます。皆様、ぜひ聴いてみてください。
「それでドラムの方は?」
「教則本見ながら、タウンページを叩いてました。でも『さっぱりわかんねえぞ』と思ってた。そしたら立川のヤマハの社長の娘さんが学校にいたんです。彼女は中学2年なのに、ませててセクシーでプリンスが好きで、その子に『ドラムやりたいんだけど』って話したら、『いいよ、パパに言ってあげるよ』って感じで紹介してもらって」
「習いだすんだ」
「はい、グループレッスンで。親は、ドラムをやることに反対してて、将来のためにならないと。『でもやりたいんですけど』って言ったら、『だったら自分の貯金でやんなさい、そういうのは自腹でやったほうがいい』と言われて、いままで貯めてきたお年玉とかのお金で習いはじめます。でも五カ月くらいでお金が尽きて、貯金ゼロ。それからスタジオ入って、ライブをやったり」
「ピーズ以外には、どんな音楽を?」
「ローザ・ルクセンブルグとかもやってたな」
「じゃあ高校に入りましょう。どんな高校生活でしたか?」
「学校の近くにミスタードーナツがあって、チョコファッジシェイクというのが大好きでした。それを朝に買って、ロッカーの中に入れておいて、授業中は『トイレ行ってきます』って言って、ロッカーに顔を突っ込んで飲んでた」
「なんか中毒か、ドーピングみたいだけど、そんなにチョコファッジシェイクがお好きだったんですね」
「はい」
「趣味は?」
「趣味は増えしまって、映画観るのが好きになって、映画を撮り始めました。ショートショートのギャグみたいな映画を」
「それは、クラブ活動?」
「いや、先輩で少女仮面という3人グループがいたんです」
「少女仮面?」
「唐十郎の戯曲からとったらしいんだけど、その先輩グループが、学園祭の時に映像の作品を出してて」
「イカした先輩だったんだ」
「そう、わたしが中3の時、その人たちは高校3年だったんだけど」
「中高一貫だから繋がりがあるんですね」
「そうなの。わたしはいつも『少女仮面格好いい!』と思ってたんです。それで学園祭の時に、少女仮面のポスターを盗もうとしてたら、少女仮面の人に見つかって、『おぬし!』と言われて」
「まずいじゃないですか」
「でも、その先輩に、『おぬし、少女仮面を継ぐ気はあるのか?』と言われたんです」
「憧れの先輩直々だ」
「最初は、継ぐ? どういうことだ? って思いました。そもそも少女仮面は、アイドルとかそういうのとも違って、本当にアングラな感じだったんです。シュールでミステリアスなショートショートで」
「それで少女仮面を継いだ多田さんが、映像作品をつくりだす」
「でもわたしの代から、ミステリアス要素がなくなって、面白い感じになってしまったんだけど。とにかく、その時は、『やります!』って言って、それで高校に入って」
「少女仮面」
「はい。だから高校時代は、少女仮面の多田さんと言われてた。あとは、お芝居もやってた。演劇を」
「バンドもやってたんでしょ」
「そう、始めたことはやめないんです」
「忙しい」
「バレーボール、漫画、バンド、舞台、あと文化祭委員も」
「そして少女仮面」
「はい。その代わり、勉強がまったくできてない」
「他にもなにかやってた?」
「これ以上話しても恥ずかしいですけど、応援団もやってました。中学1年から高3まで」
「すごいな。時間の使い方はどうしてたの?」
「漫画は授業中に、バンドの練習は学校終わって、部活もやってたけど、文化祭の前に休部してました。委員会は昼と朝、映画は休み時間に撮って、夜に家で編集してた」
「忙しいクリエイターみたい」
「勉強はゼロでしたけど。授業中に漫画描いて、『トイレ行ってきます』と抜け出して、ロッカーに顔突っ込んでチョコファッジです」
チョコファッジ、漫画、バンド、バレーボール、舞台、文化祭委員、応援団、そして少女仮面。そんな高校生活をいよいよ卒業。
「美大を目指します。最初は映画学科に行きたかったけど、受験で勉強が必要なので、夢を捻じ曲げて彫刻に。ここでも親に反対されます、『彫刻じゃ食べていけない』と、でもそう言われると余計燃えて」
「そして」
「1回目は東京芸大と多摩美だけ受けて落ちて、1浪です。2年目は、芸大、多摩美、愛知県美も受けて1次は受かるけど2次で落ちる。デッサンは描けたから、先生にも『受かるよ』と毎年言われてたけど、全然受からないので、親が業を煮やして、次は学科で受けられるところにして、勉強もしなさいと言われました。絵はコンディションで変わるけど、勉強は裏切らないと」
「それまでは実技だけだったんだ」
「試験はあるけど、20点でも受かると言われてた。それで、都会の予備校に行ってたけど学科もちゃんとやる立川の美術予備校に通います。そこで一気に6年分くらい勉強しました。その頃に現代美術とかも好きになって、自分の思っていることをやるには映像科もいいけど、彫刻学科だと思った。そこで両方受けて、結果的に、多摩美の彫刻に行きます」
入学式、多田玲子さんの場合。
「彫刻科の入学試験で自分の頭を作ったんです。自刻像、それで、頭の上にカエルを乗せたんです。だからカエルで合格したと思って」
「はい、カエル」
「それで美大の入学式は、かなりヤバい奴が集まるだろうから、初日の威嚇が大事だと思って、着ぐるみを着て行こうと思ったんです。しかも顔とか出てるおちゃらけじゃなくて、真面目な着ぐるみ、それで、お向かいの裁縫の得意なおばさんに教えてもらって、発泡スチロールで型を作り、緑のフェイクファーをつけて、カエルの着ぐるみを作った」
「はい」
「親には『え? それで入学式に行くの』って言われて」
「なに、家から着てったの?」
「そう、中はジャージだったけど、それで車で大学まで送ってもらった。でも学校に着いたら、みんなスーツとか着てて、すごい普通だった。美大だからもっとお祭りみたいになってると思ってたのに」
「そんな中、自分は着ぐるみで」
「そう、だから『もう行くの嫌だ』って、そしたら母に『馬鹿、頭かぶっちゃえば誰だかわからないわよ』って言われて、『あっ、そうか』と思って」
「いよいよカエルの着ぐるみで、入学式へ」
「そしたら『カエルが来た』と人が集まって、新入生たちが『一緒に写真撮ってくださーい』って。しかも、着ぐるみを着用したら、声を出さず、ジェスチャーだけで話すという自分のルールがあったんです」
「ずっとカエルのまんま?」
「いや、それにしてもこれじゃあカエルすぎると思って、脱ぐことにしたんだけど、脱いでるところを見られるのはまずいから、陰に隠れて」
「脱いだらジャージでしょ」
「そう、ジャージに、かぶりものしてたから頭はボサボサ。そんな入学式でした」
「そしていよいよ美大生生活ですね」
「今までの抑圧で、めちゃくちゃ遊んじゃいました」
「音楽、バンドも?」
「音楽は、友達の友達が女の子のドラマー探してるというので、そこに行って、バンドを少しやってたんだけど、なんかどうも、これでいいのかなという気持ちになってきて。それで、ある時学食で悩んでたら、彫刻家の助手をやってた吉田さんという人が来て、いろいろ話して相談したんです」
「はい」
「それで『バンドをやってるけど、なんだかしっくりしなくて』と話してたら、その助手の人が『実は、おれも昔、ドラムやってたんよ。知ってるかな、ゆらゆら帝国ってバンドなんだけど』って」
「ゆらゆら帝国!」
「『もちろん知ってます!』って、吉田さんは初期のメンバーだったんだけど、バンドをやってた時に片耳が聞こえなくなってやめて、補聴器つけてたの」
「そうなんだ」
「それで、『一生できる仕事がいいから、彫刻にしたんだよ』って言われて、『わたし彫刻頑張ります!』ってなって、バンドもやめて」
「彫刻を頑張った」
「でも、なんかあんまり頑張ってないし、結局その後またバンドもやるし、おまけに片耳も聞こえなくなった」
「でも入学式以降も、多田さんと会った頃は、着ぐるみ作ってた」
「そう、着ぐるみは、生きる彫刻だと。着ぐるみを入学式で作った時からいいなと思ってたの。着ぐるみは、立ってるだけでも人が寄ってきたり、肩組んできたりする。着ぐるみ着てないとそんなことはないでしょ。あと蹴ってくる人もいる」
「人間性がうかがえる」
「そう。着ぐるみは一年に2体ぐらい作ってて、最終的に12個になって、家の倉庫が満杯になった」
「どんな着ぐるみを?」
「シンプルな動物です。あとはテポドン(北朝鮮のミサイル)が落ちるとか、落ちないとか言われてた時に、『明日死んだらどうしよう!』と思って。そんならって、ラーメン食べてミルクレープ食べてどんどん絵を描き始めた。死ぬ、と思ったら絵が描きたくなった。それが沢山になったんで、学校に持っていってみんなに見せたら、『いいじゃん』となって、『よし、自分は、この感じで行こう、着ぐるみと絵だ』と思ったんです」
着ぐるみ多田さん、いよいよ大学を卒業です。卒業式は着ぐるみを着たのかどうなのか? 訊き忘れてしまいました。
「就職はせずに、国立のロージナ茶房でバイトしてました。あとクロネコヤマトの美術品営業所っていう美術品の梱包や展示の設置をする部署でも働いてた。で、あっそうだ、急性副鼻腔炎になったんだ。顔が痛いなと思って、病院に行ったら、鼻のところが細くて膿がたまりやすいと。で、名医が曳舟にいると紹介された。そこに一週間入院すれば、5万円で、完璧に治すと。それまでも鼻が悪くて、鼻水がよく出たりしてたから、これが完璧に治るならといいかもしれないと。それで行ってみた」
「曳舟に」
「はい、そしたらおじいさん先生が出てきて、水戸泉とか加山雄三と肩組んでる写真とかあった。『僕もここで副鼻腔炎治りました』と」
「手術を受けるの?」
「そうです。部分麻酔で、どんな最新治療かと思ったら、メスとトンカチが出てきて、麻酔はされてるけど、トンカチでガンガンとやられて、『いたいでぇす、いたいでぇす』と言ってたら、先生は、『大丈夫だ』と。でも鼻の中にグーっといったら、先生が『ザッツプロブレム!』と言い出した。『え~? なんだよぉ』だよね」
「困った」
「それで鼻の中は、どうやって縫うのかと思ったら、綿をバンバン詰められた。ひとつの鼻の穴に30個、鼻がパンパンにデカくなって、その後は、1日に5個ずつ、血で染まった真っ赤な綿を抜いて、抜くたびに熱が出るんです。それで全部抜き終わって、ようやく退院できた。最後は近所の耳鼻科に行って、鼻の中のかさぶたを取るんだけど、そのかさぶたがでかくて、焼いたベーコンみたいになって出てきました。で、わたしは、なんの話しようとしてたんだっけ?」
もう誌面が足りないので、多田さんのその後をまとめます。退院後、製紙会社のデザイン部に就職。同級生で「鉄割アルバトロスケット」の女優マークスウタコさんと組んだKiiiiiiiという2人ガールズバンドが大人気になる。音楽活動、会社員をやっていたが、両立が難しくなり、会社を辞めて、音楽事務所でアルバイト。Kiiiiiiiはアメリカツアーをしたりと大活躍。イラストも多方面からの仕事が舞い込みはじめる。私生活では結婚され、お子様も産まれ、現在京都に在住です。ものすごく強引にまとめてしまい、すみませんが、皆様も、多田さんのイラストの展覧会が、今年もどこかで行われると思うので、是非とも行って、多田さんとトークしてみてください。とても楽しいはず。今後も活躍期待してます。
多田玲子 1976年福岡県生まれ東京育ち京都在住。カラフルな色彩と珍妙なモチーフ選択で知られるイラストレーター。2人組パンクバンド「Kiiiiiii」のドラマー(ただいま休業中)。著書に「ただいま おかえりなさい」「八百八百日記」「みんなのうた絵本 うんだらか うだすぽん」(いずれも戌井昭人との共著)、自身の出版レーベル「GOLDEN BUTTER BOOKS」から漫画「ちいさいアボカド日記」「TEKITOU KANTANTAN」などがある。
戌井昭人 1971年東京生まれ。作家、パフォーマンス集団「鉄割アルバトロスケット」の旗揚げに参加、脚本を担当。『鮒のためいき』で小説家デビュー、2013年『すっぽん心中』で第四十回川端康成文学賞、16年『のろい男 俳優・亀岡拓次』で第三十八回野間文芸新人賞を受賞。最新刊は『ゼンマイ』