今回のスイッチインタビューで、鶴田さんには、初めてお会いしたのですが、最初は、なんだか緊張してしまいました。
鶴田さんは、大きな目で、しっかりこちらの目を見て話してくださるのですが、その目を見ていると、射抜かれているような、吸い込まれてしまいそうな、そんな気分になってしまったのです。
しかし、それはこっちが勝手に思っていることで、質問をすれば、じっくり考えて、丁寧に答えてくださり、柔らかだけど芯のある雰囲気に、緊張は、だんだんほぐれていくのでした。
鶴田さんは、鎌倉で育ち、世田谷の成城学園に通い、在学中にデビューをします。
すべてが順調のようですが、あるとき、ふと立ち止まってみると、自分が煮詰まっていたそうです。でも、まわりから見れば、仕事も順調だったときでした。
しかし本人は限界を感じてしまっていた。そのときに助言してくれた人、そしてどのような行動を鶴田さんはとったのか。
(戌井昭人・記)
「生まれたところは?」
「鎌倉です。大学まで」
「子供の頃はどんなことをして遊んでましたか?」
「基地とか作ってました」
「基地?」
「あの頃は雑木林がたくさんあって、うちの裏にもあったので、そこに基地を作ってました」
「友達とかと」
「友達とというより、ひとりで作って、自分の好きなものを持ち込んで、そこに友達を招待したり、親を招待したりしてました」
「どんな基地だったんですか?」
「小屋というか。でも今から思うと基地でも小屋でもなんでもないかもしれません。雑木林に木を立てて、笹を屋根にして」
「そこに好きなものを持ち込んで」
「お菓子とか持ち込んでたな」
「何歳ぐらいまで、そこに?」
「小学校の頃までかな」
「小学校は近所ですか?」
「鵠沼にある湘南学園というところです。校風はその後に通う成城学園に似ている感じでした」
「鵠沼までは、電車で通ってた?」
「はい、江ノ電です。幼稚園の年長組から通ってました」
江ノ電で学校へ通うというのは、なんだか憧れであります。
近くに江ノ電のある生活は、子供にとって楽しかった筈です。
「江ノ電の線路を渡ったところに玄関がある家とかありますから。鎌倉は人と電車の距離が近いんですよね。子供のころ、母は、なにかあるとうちの子じゃないかと思っていたらしいです」
「そして、なにかありましたか?」
「うちの学年はとても個性の強いメンバーが集まっていたんです。それで小学校四年生くらいの時に、隣のクラスの担任が女性のベテラン先生で、贔屓が酷い、となって」
「子供たちの間で?」
「はい。それで何が引き金になったのかわからないんですけど、それに抗議するため、みんなで図書室に入って鍵をかけたことがあります。」
「立てこもりですか?」
「そうです。でも結局、日が暮れて、親に連絡が入って、親が迎えに来て、みんな渋々帰りました」
「抗議された先生はどうなったんですか?」
「その後、辞めてしまいました」
「じゃあ抗議の効果があったんですね」
「今から思うと、先生の、その後の人生はどういう風に過ごされたのかなって」
「でも、抗議するくらい贔屓が酷かったんじゃないでしょうか」
「あんまり覚えてないんですけど、なにかきっと、生徒も溜まっていたものがあったんでしょうね」
「他にも、いろいろありましたか?」
「うちのクラスの先生は、とても熱血で、生徒に愛されていたんです。吉永小百合さんのファンで。でも、いまから思うと潔癖なところがあったのかもしれません」
「その先生となにかあった?」
「友達と交換日記をしていたんですけど、わたしはマセていたので、その日記に、どのアイドルが好きかとか、クラスの中でどの男の子が好きかランク付けしたり、そんなことを書いてたんですよ。それが先生に見つかって、ものすごく怒られました。先生からしてみたら、小学生の女の子が、男の子やアイドルを格好いいと話題にしたり、ランク付けしているのが許せなかったんだと思います。たぶん生理的に嫌だったんでしょうね」
「そうか吉永さんのファンですものね」
「それで呼び出されて、交換日記のノートでバンバンぶたれて」
「あれま」
「さらに先生は怒って興奮していたから、そのノートを破って、バラバラにされました」
「先生、えらい興奮してましたね」
「そうなんです。それで『謝れ』って言われたんですけど、わたし謝らなかった」
「どうして?」
「なんで怒られているのか、さっぱりわからなくて。昔から、自分が納得しないと動けなかったんでしょうね」
「で、結局謝らなかった」
「はい」
鶴田さん、子供の頃から芯の強さが伺えます。
「あと、授業中に、ノートをちぎってメモして、友達に投げたりするのが流行ってたんです。それで『あと15分でお昼休み、お腹すいたね』って投げたら、それが見つかってしまい、怒られて、結局お昼休みの時間もホームルームになってしまったり」
「いろいろやらかしてますね」
「はい。江ノ島の龍口寺のお祭りに友達と行って、夜遅くまで帰らなくて学校で問題になったり。でもうちの母は、わりと自由にさせてくれてたな」
「当時、習い事とかはしてましたか?」
「ピアノをやってました。それで学校では朝と夕方に、朝の歌と帰りの歌を歌っていたんですけど、その伴奏をやってました。あとは合唱祭でもピアノを弾いていましたね」
「熱血先生もいるけれど、校風は比較的自由だった」
「そうですね。男女変わらず、兄弟みたいに仲良かったし、今でも仲がいいです」
「それで中学は、成城学園へ行くんですよね」
「正確には、中学は他の学校を受験したんですけど、行きたいところに入れなくて、一度公立に出ました。それで中1の終わりに、成城学園の編入試験があるというので受けたんです。だから中学2年から成城学園に通いました」
「編入して、すぐに友達とかできました?」
「そこは大丈夫でした」
「部活は?」
「編入してすぐに仲良くなった友達がバスケ部だったんです。そうしたら、バスケ部の子たちと仲良くなって、『入れば?』と誘われて、バスケ部に入っちゃったんです。でもわたしはボール音痴で、リズム音痴で、だから本当に辛い部活生活になりました」
「入ったはいいけれど」
「バスケ部は先輩も怖くて、コーチも日体大からいらしていたから厳しくて、今だったら問題になるくらい厳しかったです。だから『なんでこんなところに入ってしまったんだろう』と思いながらも、辞められませんでした」
「部活のバスケ一辺倒だった」
「そうですね」
「それにしても学校に通うには、鎌倉と成城だと結構な距離ですよね」
「行きは急行に乗るんですけど、帰りは友達と帰りたいから、各駅停車に乗って、二時間くらいかかってました。それに急行は内臓破裂しそうなくらい混んでいるから、座って帰りたくて。とにかく学校と通学で、家では寝るだけだったから。わたしには反抗期がなかったんです」
「通学時間は有効に使っていた?」
「寝てました。座れたら寝てた。それで、パッと起きたら、今から学校に行くのか帰ってるのか、わからなくなったりしてました」
「高校もバスケット部?」
「バスケットはやめてテニス部に入りました」
「テニスは得意だった?」
「小学校の頃から少しやっていたので。下手でしたけど」
「でも部活は真剣に」
「真剣にやらないという選択肢がなかった。先輩が怖くて」
「部活の帰りに遊んだり、寄り道したりとかは」
「してましたよ」
「どんなことを?」
「下北か渋谷か青山に出てました。あと成城でよく行っていた喫茶店でご飯食べて帰ったりとか。その喫茶店のお兄さんが遊び人のお兄さんで、可愛がってもらいました。初めてディスコに連れてってもらったり」
「じゃあ、夜遊びもはじまって」
「はじまりましたね。テニス部の合宿のプリントにある日程を書き直して、親に渡したり」
「それで遊ぶ」
「そうです。伸ばしたぶん一日遊んで帰るとか」
「夜遊びは、どんなところで?」
「第三倉庫というクラブが新宿にあって、大貫憲章さんとか藤原ヒロシさんがレコードを回していました」
「ロンドンナイト」
「そう。でも、夜遊びにハマってはいなかったです。みんなで行こうとなった時に行く程度でした」
「成城学園だから、みんな先端の遊び場を知ってるんですね」
「それに当時バブルだったから、知り合いがパーティ開いたりして、それにスポンサーがついたりもしてた」
「でも、別に遊びだして不良になっちゃったわけでもなく」
「そうですね。東京の学校だから、そういうことが身近にあったんですよね。そこに特別感はなくて、だから遊びを知って、遊びに狂いはじめちゃったというのはなかったですね」
「帰りに駄菓子屋に寄る感じかな」
「でも、まあ高校生だから、親には友達の家に泊まりに行くと言ってましたけど。あと、わたしは高校生の時に免許を取ったんです。四月生まれなので早く取れた。それで期末テストが終わると同時に夏休みになっていたので、その日は車で学校に行って、そのまま友達の別荘に行ったりしてましたね」
「東京の、それも良いところの高校生っぽい」
「でしょ、なんかやらしいんですよ。とにかく大学生みたいな感じで遊んでいた高校生でした」
「じゃあ大学に入ると、その続きみたいな感じだ」
「そうですね。それで、高3の時に、いまの事務所に入ったんです」
「きっかけは?」
「グリコのCMです。従兄弟が電通にいて、グリコの担当で、CM撮影の時、人が足りないから集めてこいという電話がかかってきたんです。成城の東宝スタジオでの撮影だったので、友達も連れて来てくれないかということで、友達2人誘ってエキストラで2日間行ったんです。そうしたらうちの社長が事務所を開こうとしているところで、社長は従兄弟の上司と知り合いで、誰か探していた時だった。それで従兄弟の上司が『鶴田の従姉妹はどうだ』となって、誘われて」
「じゃあ、事務所を立ち上げる時から」
「そうです。まだ事務所もなくて、知り合いのところに電話一本引かせてもらってました」
「じゃあどんな仕事が来るかもわからず、大学に通ってた」
「そうです」