文 戌井昭人
写真 浅田政志
山下敦弘監督の『松ヶ根乱射事件』という作品に出させてもらったことがあります。それまでわたしは、山下監督の映画が好きで、単なるファンだったので、映画に出させてもらうことになったときは、とても嬉しかったのを覚えています。
映画に出させてもらうのが決まる前、オーディションに呼ばれたのですが、わたしは、とんでもなく緊張していました。あのような映画、『その男、狂棒に突き』『どんてん生活』『ばかのハコ舟』『リアリズムの宿』を撮っているのだから、監督はきっと、ヤバい感じの怖い人だろうと想像していたのでした。しかし、オーディションの場に行ってみると、ニコニコした山下監督と、脚本の向井康介さんがいて、どういうわけか、コーヒーを飲みながら雑談をして終わりなのでした。そして、「あれは、なんだったんだ?」と思っていたら、オーディションに受かったとの連絡があったのです。
その後も、山下監督には、わたしのやっている「鉄割アルバトロスケット」を観に来ていただいたり、鉄割のメンバーが山下監督の映画に出たり、わたしの書いた本の帯を書いていただいたり、いろいろお世話になっています。
このように『松ヶ根乱射事件』以降お付き合いしていますと、山下監督は作品もさることながら、ご本人にも飄々とした雰囲気があるのですが、その奥底には、とてつもなく熱いものが流れている感じがするのです。芯があってブレることのない感じ、いったいコレはどうしてなのだろう? そんなことを考えながら、いろいろ訊いてみたいと思います。(戌井昭人・記)
「どこで、お生まれになられましたか?」
「兵庫の芦屋らしいんです」
「ずいぶん高級な場所で」
「そうなんですけど記憶がないんで」
「どうして芦屋だったのですか?」
「西宮に父親の兄夫婦がいて、そこに母が行って世話してもらってたらしいんです。それで芦屋の病院で生まれて、すぐ愛知に戻るんです」
「お母さんは、芦屋に山下さんを産みにいっていたんですね」
「はい、それで愛知の豊田市へ」
「豊田ということは、お父さんは、車とかトヨタの関係ですか?」
「そうです。車関係、でも何をやってたか詳しく知らないんです。なんか下請けだったみたいです。その後、転勤で川崎へ行くんですけど」
「いつまで豊田にいたんですか?」
「小学校に入る前まで」
「では、豊田時代のから訊きたいのですが。子供の頃、なにか大きな怪我をしたとかありました?」
「怪我? そうだなあ……あっ、怪我しました。自分では覚えてないんですけど、ドアに挟んで指がプラーンとなったとか。でもあまりの痛さで記憶が飛んでいます」
「どこの指ですか?」
「親指です」
プラーンの指はなんとかついたそうで健在です。記憶は飛んだけど指は飛ばなかった。良かったです。
「どのような子供でしたか」
「泣き虫でした。兄貴がいたんで、兄貴についてまわってました。人見知りで内弁慶、家の中ではうるさいけど、泣き虫でした」
「豊田市って、ほとんどトヨタで働いてる人の家族だとか」
「ええ、クラスメイトのほとんどがトヨタでした。トヨタで完結です。お金は持っているんだろうけど、街があまり面白くないんです。あと歩いている人が少ない。みんな車だから、電車があまり機能しなくて、駅前は閑散としてました」
「それで小学校からは川崎へ」
「そうです。親父の転勤で行ったんですけど」
「川崎に引っ越したときは、どんな印象でしたか?」
「カルチャーショックを受けました。大都会でしたから、ごちゃごちゃしてて、人は多いし、ホームレスもいるし」
「豊田とはまったく違う」
「まったく違いました。それこそ川崎で住んでいたのが、このまえ中学生が殺された事件のあったとこらへんで」
「川崎大師の方だ。競馬場の先の、多摩川の近く」
事件とは、2015年に中学1年の男子が殺害され、多摩川河川敷に遺棄されていたという酷いものでした。わたしは多摩川沿いを自転車で走るのが好きで、そこら辺もうろうろしていたから、なんとなく街の雰囲気がわかりました。
「あそこら辺は工場も多いし、空気が淀んでるというか」
「はい、川崎に行って喘息になりましたもん」
「街もなんだか乱暴な感じで、でも、そこが良いのだけど」
「いま思えばガラの悪い子供が多かったなあって思います。兄貴もそんな感じになってたし、親父なんか、それまで普通のサラリーマンだったのに、川崎に来てからパンチパーマになっちゃって」
「パンチパーマ」
「それでグラデーションのサングラスかけたり、柄物のセーターを着たりしてました。なんだか親父もやんちゃになってた。最後の方は黄色いシボレーとか乗ってましたもん、家族では乗りづらい車」
「お父さん、川崎の街に正しく染まっていったんですね」
「楽しくて、相当遊んでいたんでしょうね」
川崎という街とともに、山下家には濃密な時間が流れていた様子です。
「とにかく山下家の中では一番弾けてた時代かもしれません」
「家族全員が」
「そうです。パチンコにハマったり。あとは、うちが宴会場になってて、近所の人が、よく酒を飲みに来てました」
「お父さんの仕事はやはり車関係だったの?」
「親父は、街の整備工場の所長みたいなのをやってたんです。それで、部下がパンチパーマで」
「じゃあ、お父さんのパンチパーマは、部下の影響だった」
「そうかもしれません」
賑やかだった川崎時代の山下家。山下少年は何をして遊んでいたのでしょうか。
「まだ川崎のチッタとかはなかったんですけど、普通の映画館があって、その映画館の前のテレビで予告編が流れてたんです。半日それを眺めてから、立ち読みをしに行ったり、あとは映画のスチールをずっと眺めたり」
「当時の映画の思い出は?」
「三年生の頃、『グーニーズ』をどうしても観たくて、友達と行った覚えがあります。でも映画の内容より、子供同士で観に行ったことが印象に残っています」
「他に川崎での思い出はありますか?」
「川崎は多摩川を渡ると東京じゃないですか、それで大田区に交通公園があって、潰れたジープとか置いてあったんです。そこに行くのが冒険でした。あとは、その近くに100円バーガーのお店があって、駄菓子屋みたいなところなんですが、そこで買い食いするのがたまらなかったな。小学4年のとき、友達と、友達の弟と、その交通公園に向かってたら、雨が土砂降りになってきて、過剰に興奮したのを覚えてます。雨に濡れながら、その弟に『頑張れ! もう少しだ!』って」
子供同士の付き合いも、濃密に過ごしていた山下少年ですが、小学4年生が終わるとまた豊田市に戻ることになります。
「豊田に戻ったときは、逆にまたカルチャーショックだったのでは?」
「はい、川崎で培った遊び、近所の子供と自動販売機の下の小銭を探したり、駄菓子屋に行ったり、立ち読みをしたり、そういう遊びが無くなって、豊田に戻ったら、スポーツとか鬼ごっこでした。でも子供だからすぐ慣れるんですけど。あとは空気が良かった」
「お父さんは?」
「親父も、パンチパーマから七三分けに戻って、車もファミリーカーになってました。アレはなんだったのか? って感じです。でも兄貴は、川崎を引きずってたのか、バンドとかやってました」
「豊田市で中学生になるんですか?」
「はい、中学2年生まで豊田で、3年で知多半島の方に引っ越します」
「部活は?」
「サッカーをやってました。仲良くなった連中がサッカーをやってて、だから遊ぶのと部活の友達が同じで、毎日サッカー漬けでした」
「中学三年で、知多半島へ転校してからはどうでしたか?」
「やっぱりサッカー部に入ったんですけど、豊田での部活のレベルが高かったみたいで、1試合で2、3点入れちゃって、凄いなコイツってなったんですよ」
「良いですね」
「で、俺も『アレ?』って思ったんです。それで調子に乗ってたら、骨折して、練習もしなくなって、部活にあまり行かなくなってたら、みんなのレベルの方が上がってました。それと、部活のメンバーと遊ばないで、クラスの奴と遊びだして」
「何して遊んでたんですか」
「山本剛史と同じ中学になったんです」
山本剛史さんは、山下監督の映画にも出ている俳優さん。つまりこの2人、中学時代からの同級生なのです。
「2人とも映画が好きで、映画クイズを出し合っていました、お互いの映画の知識を出し合って、監督とか俳優の名前を言って、その映画のタイトルを当てるとかやってました。『それゴッドファーザーだ!』とか。とにかく山本に会ってからは、それまではサッカー少年だったけど、完全に映画になりました」
「高校は?」
「なんとなく入れそうなところに入りました」
「高校で部活は?」
「惰性でサッカー部に入るんですけど、家に帰ると、山本とは違う高校だったけど、山本と遊んで、映画を観てました」
「映画を撮ったりは?」
「うちの親父がビデオカメラを買ったんですけど、使ってなくて、それで撮ったりしてました。で、山本が吹越満さんのロボコップ芸が好きで、あれをやりたいと言うので、授業中に絵コンテを描いて、撮ったのが最初です。それをその日の夕方に、一緒に観たりしてました」
「映画を発表したりは?」
「高三の学園祭のときに、『ビーバップ・ハイスクール』のパロディとかやってました」
後編へつづく
山下敦弘 1976年愛知県生まれ、映画監督。『天然コケッコー』(2005年)で第三十二回報知映画賞・最優秀監督賞受賞。最新作は『ハード・コア』、山田孝之と佐藤健が兄弟役を演じ、コミック「ハード・コア 平成地獄ブラザーズ」の実写映画
戌井昭人 1971年東京生まれ。作家、パフォーマンス集団「鉄割アルバトロスケット」の旗揚げに参加、脚本を担当。『鮒のためいき』で小説家デビュー、2013年『すっぽん心中』で第四十回川端康成文学賞、16年『のろい男 俳優・亀岡拓次』で第三十八回野間文芸新人賞を受賞。最新刊は『ゼンマイ』