ジミー・ホッファとは、
何者だったのか
1913年にインディアナ州で生まれたジェイムズ・リドル・ホッファ(ジミーはジェイムズのニックネーム)は、7歳で父親を亡くし、家計を助けるために中学校を中退して働き始めた。大恐慌の時代、失業者や貧困者が街にあふれかえっていた。
肉体労働者にとって、苛酷な時代でもあった。雇う側はこき使えるだけ使い、労働者の権利や保障など皆無である。
今、アメリカ合州国大統領は、メキシコ移民を筆頭に、あらゆる移民を厳しく取り締まるルール作りに躍起になっているが、大統領自身もまた移民の末裔である。ネイティブ・アメリカンと呼ばれる人たちが先住民とするなら、それ以外の白人や黒人、有色人種は、結局のところ全員が移民と言ってもいい(ワシントンからトランプまで、歴代大統領全員が移民か移民の末裔である。アメリカという土地に本来的に根ざす人は皆無なのだ)。
アメリカとは、移民の国である。逆の言い方をすれば、移民なくしてアメリカ合州国は成り得なかった。移民たちが、「労働力」というエネルギーで巨大な国家を動かしてきたのだ。移民の歴史は、アメリカの歴史である。
1800年代、アメリカの労働力の中心にいたのが、アイルランドや中国からの移民だった。イギリス人から見下され差別を受けていたアイルランド人たちは、貧しい祖国を脱出し新大陸へと渡っていったが、結局そこでも苛酷な労働に従事することになった。アイルランドからの移民たちの多くは炭鉱で働き、道路を敷き、中国からの移民たちは国中に散らばって鉄道建設に従事した(各地にチャイナタウンが生まれた理由には、そのような背景もあった)。
労働者たちは徹底的にこき使われていた。経営者側は政治家や地元ギャングと手を組み、搾取できるだけ搾取し続けていた。それは20世紀になっても変わらなかった。たとえば反抗的な態度を見せる労働者がいれば、雇い主はその者を排除するためにギャングにひと声かければよかった。新聞に出ない暴力、殺人、見せしめが横行していたが、政治家にも新聞社のトップにも賄賂を渡していたので表沙汰にはならなかった(その慣習は今も続き、日本も同様である。『アイリッシュマン』には、その意味でスコセッシ監督の現代への警鐘も響いている)。
ジミー・ホッファはそのような苛酷な環境に立ち向かった労働者のひとりだった。彼は最初、搾取される側にいた。悲惨な少年時代をなんとか生き延びてきたホッファは、屈することをよしとしない男だった。
10代後半のホッファは、食料雑貨チェーン店の下請け仕事をしていた。貨物列車から積み荷を降ろす肉体労働だ。苛酷な作業、長い労働時間、安すぎる賃金、何の補償もない労働条件に対し、ホッファは反旗を翻した。彼は労働者仲間を説得し労働組合的な集まりを作り、ストライキを断行する。
当初、ホッファのそのような取り組みは、地元のギャングや警察官によって徹底的に阻止された。経営者側が少し金を出せば、ギャングも警官も言いなりである。だが、身体がけっして大きくないホッファだったが、必要とあれば大きな相手に殴り返し、蹴り返し、倒されても起き上がり、何度でも闘った。ケガを負い、何度も留置所に放り込まれたが、決してあきらめなかった。
「経営者側に絶対に屈しないタフな男がいる」。ジミー・ホッファの名はアメリカ東部で知られるところとなり、あるとき、「全米トラック運転手組合(チームスターズ、International Brotherhood of Teamsters)」から声をかけられる。チームスターズの渉外担当(組合のオーガナイザー)の仕事を得た若きホッファは、トラック運転手たちのストライキやボイコット活動の指揮をとるようになっていく。ホッファはそこでも政治家や地元の警察署、マフィアたちと組んでいる経営者側から様々なひどい仕打ちに遭うが、決して屈しないホッファの態度に、トラック運転手たち(つまりホッファにとって労働者仲間だ)は強くひかれ、彼への信頼を確かなものにしていく。
1957年、ホッファはついにチームスターズ委員長になる。全米トラック運転手組合の実質的なトップである。実はこの頃までにマフィアたちは、経営者ではなく、ホッファと組むようになっていた。マフィアが欲しいのは利ざや、見返りであり、ホッファと組む方が得るものは大きいことに気づいたのだ。
ホッファが委員長に就任するまで、トラック運転手たちの労働者組合、チームスターズはけっして一枚岩ではなかった。アメリカは広く、支部ごとに力関係も異なり、各地でローカル・マフィアが暗躍していた。ホッファは、そのチームスターズを全国規模のひとつの組織にまとめ上げてしまった。
ホッファには強いカリスマ性があった。言葉巧みであり、高い演説能力があった。組合の集まりの場で登壇すると、熱いスピーチで労働者たちを熱狂させた。「君たちのトラックがすべてのモノを運んでいるんだぞ!」と彼はトラック運転手たちに向かって呼びかけた。「トラックがなければ、君たちが運転しなければ、すべてが止まる。すべて、君たちにかかっている。この国を動かしているのは、君たちだ! 君たちの力がなければ、この国は終わる。君たちの力が、この国の力なのだ!」
20世紀半ばのアメリカで、トラックは重要だった。トラックが、あらゆる荷物、道具、物資を運んでいた。トラック運転手がストライキをすることは、アメリカの動脈がストップすることでもあった。トラックは、アメリカという巨大な国の血液であり、その血の流れを仕切っていたのがジミー・ホッファだった。
ホッファが委員長としてチームスターズをひとつにまとめあげたとき、新聞などメディアはこう表現した。「アメリカで最も大きな権力を持つのは大統領か、ジミー・ホッファか?」
1960年代、全米トラック運転手組合は航空業界の組合も傘下に加えることに成功、その組合員数は150万人を越え、アメリカ最大の労働組合となった。チームスターズは、共和党、民主党に次ぐ大きな政治組織になっていた。もしそのときホッファにその気があれば、そしてその器と才能があれば、大統領にだってなれたかもしれない。
だが彼は、チームスターズのドンとして、充分に甘い汁を吸いまくっていた。「ギャングと経営者が組んだ時代」は終わりを告げ、「マフィアと労働組合が組む時代」をホッファは自ら創り上げた。そして、そのトップに君臨することで、あらゆる悪行を取り仕切った。トラック運転手たちの年金を勝手に運用し、ラスベガスのリゾート建設などに融資をおこない、見返りとして莫大な手数料やリベートを受け取っていた。もちろんその背後には、手を組んでいるマフィア組織があった。
ジョン・F・ケネディ(アイルランド系)が大統領になると、風向きが変わってきた。ケネディは弟のロバートを司法長官に任命し、そのロバート司法長官は徹底的にジミー・ホッファを攻撃、追求した。チームスターズ年金の不正運用や賄賂、収賄など、ホッファの不正な行為を細かく徹底的に調べ、なんとか彼を捕まえようとした。この辺りの様子、状況は、『アイリッシュマン』に詳しく描写されている。
その後ジミー・ホッファに何が起きるのか。彼がどのような人間として存在し続け、暗殺者フランク・シーランとの友情関係はどのような結末を迎えるのか。それは『アイリッシュマン』で確かめて欲しい。
参考文献:『アイリッシュマン』上・下(チャールズ・ブラント著、高橋知子訳、ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
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