ファッションデザイナーのリック・オウエンスがおよそ20年ぶりの来日を果たした。かねてより親交の深い杉本博司と池田亮司の2人と小田原の江之浦測候所で邂逅する。SWITCHは3名のアーティストによる夢のような鼎談に立ち会った
TEXT: KLEINSTEIN(KOISHI YUSUKE & MIKI)
2023年10月18日、快晴。相模湾の海景が広がる江之浦測候所。空には高く一羽の鳶か鷹と思われる大きな鳥が羽を広げ舞っていた。20年ぶりに来日したリック・オウエンスとミシェル・ラミーを歓迎しているかのように。コロナパンデミック前の2019年秋、杉本博司が演出、舞台美術を手掛けた舞踊劇『At the Hawkʼs Well/鷹の井戸』はパリ・オペラ座で大成功を収めた。衣装とヘアメイクを担当したリック・オウエンス、音楽と空間演出を担当した池田亮司、そして小田原文化財団 江之浦測候所を創った杉本博司とが数年ぶりに再会した。江之浦測候所内の石舞台、光学硝子舞台、そして井戸の傍などを歩きながら始まった歓談は、江之浦の自然の中でファッションやアートの境界を悠々と超え、舞踏劇のテーマでもあった死と生命、そして空間と時間など哲学的話題へと足を伸ばしていった。インタビューはトンネルの奥の洞窟の中にて収録された。
—— 今回、Rizzoliから出版したビジュアルブック『MORE RICK OWENS BY DANIELLE LEVITT』について伺います。フォトグラファーのダニエル・レヴィットとのコラボレーションは2014年に始まったそうですが、ダニエルの写真に写る自分のコレクションを見て、あらためて感じるものを教えてください。
リック 私のコレクションは、その前のコレクションの進化形なんです。だから写真に写ったイメージを研究して、それに対して次に何をすべきかを決めます。彼女の写真を見ていると、きっと何かサブリミナルなものがあるんだと思います。彼女は私の作品をダイナミックに見せてくれますが、それはあからさまにセクシャルなものでも、メロドラマ化されたものでもありません。そこには生命があります。それがダニエルの写真に期待していることで、コレクションが正しい文脈にあると感じさせてくれます。前に進むのにふさわしい気分にさせてくれるんです。
—— 久々の来日ですね。今回、江之浦測候所に来られたきっかけは何でしたか?
リック はい。ミシェルと僕は今回出版したビジュアルブックのサイン会とパーティを行うために日本にやって来ました。前回来たのは20年前で、日本の友人たちに会う時が来たとも感じていましたから。亮司と博司にはこの場所で会いたいと思っていました。ミシェルも僕も江之浦測候所は訪れたことがありませんでした。これほどまでに美しい場所にこんなに美しく晴れた日に来られたのはとても運が良かった。二人共圧倒されました。
杉本 さっき見せたのは半分だけ。実はまだこの下の方にもう半分ある。化石コレクションを展示した「化石窟」があるんだ。三葉虫とかアンモナイト、2億年以上前のものとかね。この後、案内しますよ。
リック それはすごい。ぜひ連れて行ってほしい。この洞窟の中の音の響きが何ともいいですね。とにかくここの石が大好きです。大好きな石がたくさんあって、洞窟もトンネルもある。最高です。
杉本 私も石が大好きで、石フェチでね(笑)。この江之浦測候所を作る時にあちこちから石を集めた。千年以上前に使われていた石もある。天平時代の石、飛鳥時代の石、江戸城に使われていた石、フランスの旧家に使われていた石もあるし、他にもいっぱいある。奇妙な縁でいろいろな石が僕のもとに集まってくれた。
リック 正真正銘の石フェチですね(笑)。石は永遠と関係がありますね。僕たちは皆、永遠とつながりを感じたい、もしくはそのつながりを楽しみたいと思っている。
杉本 石は時間の経過でもっとも変化しない素材だ。それに比べると私たちの社会、人の一生は非常に短く脆いものです。私はずっと石で空間を作りたいと思ってきました。そして、この江之浦測候所は千年後、もしくは五千年後には廃墟になってもなお美しい場所になってほしいと思っている。願わくばエジプトの遺跡みたいにね(笑)。
「死」を想起するためのメディアとして
—— 杉本さんの自伝『影老日記』(2022年)によると、1979年から古美術商としても活動されてますね。一方、リックも美術品を集めていてイタリアのコンコルディアの家にミイラを入れるエジプトの石棺をコレクションしているとか*1。
リック はい、コンコルディアには石棺があります。それに人間の頭蓋骨もコレクションしている。コンコルディア、リドの家、そしてパリの家にドクロが置いてあります。
杉本 僕は小さな猫のミイラをコレクションとして持っているな。棺に収められたミイラで、棺の上に猫の肖像彫刻が置かれている。小さくて美しい猫のミイラ。
リック 素敵ですね。以前、誰かから、なぜ「死を思い出すもの」と一緒に生活できるのかと訊ねられたことがありました。私は言ったんです。「死の象徴を目の当たりにしたら、自分自身の死を認識することを避けられないだろう。そしてその現実を直視すれば、その不安は取るに足らなくなるんじゃないか」って。家にあるドクロは、杉本さんの話と同じで、人生が非常に短いことを思い出させます。いつか僕の頭蓋骨も他の誰かの机の上に置かれる日が来ることを意味しているし、それでいいと思ってます(笑)。それが生命の循環なんです。
杉本 いいね。
リック 実は母が昨年亡くなりました。ガンで非常に苦しんだんです。私は彼女がどれだけの苦痛を我慢していたかに驚かされました。あらゆる身体の問題を解決する薬が既に十分開発されていると思っていましたが、全くそうではなかったことにも。医師は彼女にオピオイドを与え、オキシコドンを与え、これらに加えてあらゆる薬を与え続けましたが、母は完全に正気のままで非常に苦しみ続けていて、それがショックでした。それを見て、ふと思ったんです。母の出身であるメキシコの家にはだいたい十字架が飾られています。私はいつもそれが単にスピリチュアルな信仰を示すものだと思っていましたが、実は非常に実用的な目的のためだったのだと。つまり、十字架はそれを見る者に対して、いつか来る苦痛は避けられないことを思い出させるための装置なんですね。毎日それを見ることで苦痛は避けられないという現実に人々を慣れさせるためのデバイスだったのだと。頭蓋骨に話を戻すと、ドクロは地球上での自分の立場を想起させるんです。我々の立場が強力ではないという現実を。
—— 2019年にパリ・オペラ座で公演された、杉本さん演出の舞踏劇『鷹の井戸』*2も死(メメント・モリ)*3がテーマでした。不老不死の水が湧く井戸から水を飲もうと水が湧くのを待ち続ける老人、老人と同じく不老不死を求める青年、そして井戸を守る鷹の精の話です。三人の出会いやコラボレートした経緯を教えてください。
リック そういえば僕たちの出会いはいつだったろう。忘れてしまった(笑)。
池田 僕も覚えていません(笑)。10年以上も前ですから。とにかく最初はリックが僕に連絡してきました。リック本人が、直接です。
リック 亮司に直接連絡したというのは間違いないね。僕のチームには、誰かにコンタクトするための秘書はいないから。いつも私が自分でやります。よく思いますが、秘書が相手の秘書に電話したり、プレスから秘書に電話したり、といったやりとりの意味が理解できません。私はいつも自分でメールを書くし、直接連絡をとります。
池田 そう、直接連絡をくれてパリでリックとミシェルに会いました。過去に他のブランドからの連絡やオファーは何度もありましたが、デザイナーと直接話ができないので、ただ僕を使いたいだけ、と感じていた。だからオファーは断り続けてきました。リック以外はね(笑)。あの頃はファッションのことは全然知らなかったな。リックのことも名前だけは聞いたことがあったけどあまり知らなくて。その後、僕たちはたくさんのプロジェクトをやったし、明日の東京のパーティでも一緒にやりますね。
リック 本当に素晴らしい出会いになったよね。僕にとって亮司とのやりとりはいつも超簡単。亮司はいつもしっかりしてるよね。君のような人は本当に少ない。
—— 『鷹の井戸』では池田さんからリックに声をかけたそうですね。
池田 僕はリックと杉本さんの間に共通する文脈を感じていました。杉本さんから舞踊劇の仕事の話があった時、当然ながらリックを紹介したよ。そして日本の能にも詳しい振付家のアレッシオ・ シルヴェストリンを。リック、僕は君をオペラ座の文脈に繋いでみたかったんだよね。独自の歴史と伝統のあるパリ・オペラ座*4の衣装部門にね。あそこはファッションの文脈とはある種、まったく違う場所だから。結果、凄いものが生まれたよね。
オペラ『At the Hawk’s Well/鷹の井戸』 PHOTOGRAPHY: OWENSCORP
杉本 とてもいいものができたね。
リック 素晴らしかったですね。僕にとっていつもとは別の形の経験になりました。
—— メメント・モリについて普段から考えている二人が邂逅したのは運命的ですね。それを目撃できた観客も幸運でした。コロナのパンデミック前でしたから。
池田 幸運でしたよね、杉本さん。
杉本 本当だね。パンデミックの直前だったからね。今振り返ると、パンデミックはあまりに人間的なイベントだったと思うんだよね。正直に話すと僕は楽しんでいたところもあった(笑)。誰も電話をかけてこないし。静寂のひとときを見つけたというか。それにこの間、僕は書を勉強し、書を始めるきっかけになった。江之裏測候所の石碑にも彫ってね。いくつかここにもある。
池田 杉本さんのヘタウマ書道、好きですよ(笑)。
リック (笑)。書道のことは僕にはわからないけど、僕にとってもパンデミックはいい機会でした。フランス語やイタリア語を学ぶ良い機会でした。でも結局それはやらず、ミシェルと僕は自分たちの図書室に通いました。テラスの木の下に寝そべって、いつか読もうと思って長年集めてきた本を読み漁りました。次に外に出て再び世界に参加する準備ができるまで、情報を吸収するための勉強の時間だと考えていました。その後、すぐにコンコルディアの工場に戻りましたが。そこが僕らの生き残りをかけた中心地でしたので。僕たちのチームは団結し、状況に応じてビジネスを再調整しなければいけませんでした。ヴェニスでは観客を入れずにショーを行いました。不確実な時代だったからこそ、抵抗を示さなければなりませんでした。その状況下でできる最高のものを見せなければと思っていました。従来とは違うやり方で仕事をするチャンスでもあり、チームの絆がとても深まりました。それは見事で美しいものでした。
インディペンデントでありつづける
—— リック・オウエンスはイタリアの職人によって作られていることで有名ですが、日本の職人とも仕事をしていますよね。イタリアと日本の違いはどうですか。
リック はい。日本国内で作られたカプセルコレクションがあります。岡山のデニムや兵庫の龍野でなめしたレザーを厚木で縫ったアイテムなどね。日本の生産背景を理解して職人を僕一人で探すとなるとさすがに百万年かかったと思う(笑)。自分たちで問い合わせたこともあるけど、探してくれた友人がいる。イタリアと日本の職人の違いを一言でいうなら、イタリアの職人技はオペラ的、日本の職人技は精巧だね。
杉本 (笑)。
—— お父様も日本に縁があると聞きました。
杉本 へえ、そうなんだ。
リック 詳しいことは覚えていませんが、父は従軍していて第二次大戦の後、日本の米軍基地に駐留して郵便配達をしていたらしい。日本滞在時は日本文化にとても夢中になっていたみたいです。彼はかなり保守的で、非常に厳格で、道徳的な人だった。そんな彼のクローゼットの中には古い軍用トランクがしまってあったのを覚えています。開けてみると、そこには日本のお土産が入っていました。着物やお香、日本で美しい女性と一緒にデートして着物を着て撮影した写真なんかもね(笑)。それと、父は日本の書道とか水墨画の本も集めていて。僕と家族の周りの世界には彼の本以外にそんな芸術の例はなかったんです。というのも、僕らが住んでいたのは実に保守的なアメリカの町で芸術文化がないような場所だったから。だから彼の地下室にあった本を見た時は別の惑星のものという感じで。まさに別の惑星の、超自然的なものでしたね。
—— 三人に共通するのは、インディペンデントなことです。現在、デザイナーがビッグメゾンのクリエイティブディレクターになったり、ブランドが大企業に吸収されるようなことが頻繁に起きています。リックと杉本さんは独立した存在であることについてどう考えていますか?
リック もちろん誰もが可能ならインディペンデントでありたいと思うでしょうね。僕は幸運にもミシェルに会うことができました。そして正直で純粋な精神があって、ビジネスを完全な形で維持することに私よりも長けた才能のあるパートナーにも。その結果、非常に小さなものから自然に、そして有機的に成長することができました。みんな僕がやっていることを利用せず、大切に保護しながら守ってくれました。普通はそんなことは起こらないよね。これは奇跡だと思います。奇跡のような結婚ですね。
ミシェル (洞窟の天井の穴から)そろそろ、こっちに来なさいよ。
リック (笑)。だから、僕が今のような形で独立した状態でいられること。これは誰にでも起こることではないだろうし、これは幸運としか言いようがありません。
杉本 独立か。僕はLAの写真学校を出てからNYに渡って、最初はファッションフォトグラファーのアシスタントとして働き始めた。1970年代の初めだね。でも、人にコントロールされたり、誰かのために働くのにうんざりして、すぐにやめた。たった2カ月で(笑)。そんな折、街でドナルド・ジャッドの作品を見た。無数のベニヤ板が壁にかかった作品だった。1974年のことだね。これを見て「そうだ、僕も自分のやり方でこの世界で生きてみよう 」と思った。その後、1979年に日本の美術品を収集しだして、作品制作の傍ら、日本の民藝品を売る「MINGEI」という店をNYで始めた。仏教美術や、徐々に神道に関連するものも集めるようになっていった。最初は人のために買い付けていたけど、今は自分のために集めているね。
—— 杉本さんは2002年の直島の護王神社再建のプロジェクト*5をきっかけに、建築の領域に足を踏み入れ、コミッションワークもされてますね。
杉本 その仕事がきっかけで建築の仕事の声がかかるようになって、コミッションの仕事を始めました。2008年には新素材研究所を立ち上げた。新素材の名前とは裏腹に、現代建築の一般的な材料や技術だけでなく、古代や中世の技術を研究し、失われつつある技術の継承をしている。自分のキャリアを振り返って仕事を一言でまとめると「空間感」だね。これは私にとって非常に重要な感覚。写真で言えば、構図、時間、空間そして陰影に対する感覚だ。すべての仕事に一貫するのは、この空間に対する感覚を使って仕事をしているということ。建築の仕事は楽しいし勉強になるね。その美術商の経験、そして建築での学び、そういったことがあったから自分だけの空間、江之浦測候所を作ることができた。そして大好きな石の上に今こうして友人たちと座っている。これからもこうやって勉強が続けられたら最高だね。建築といえば、リックも家具を作っているよね。
リック はい、作ってます。いつから始めたのか忘れてしまいましたが*6(笑)。
ソフトでポジティブな価値観
—— 二人に共通するのがDIYの精神ですね。杉本さんの写真は当然ながら、自ら大工仕事、そして展示解説の文章も手掛けて、今は本も多数出版されています。リックは服作りではデザイナーでありパタンナーでもありながら、コレクションノートやプレスリリースも自分で書いていますよね。
リック そう! それが僕らにとって大きな財産です。ブランドのデザイナーが私のように好きなことを書いて発表することを許されている所は他にはないと思います。大抵のメゾンは監督や指示をする人が多すぎです。僕にとって自分自身でそれができるのは独立性においても非常に重要です。
—— いつも自ら語っていますよね。YouTubeでビデオも公開していますし。
リック ファッションはコミュニケーションですから。「ファッションを作る」ということは、人々がお互いにコミュニケーションを取るためのものを作るということです。コミュニケーションや自分のやっていることを伝えるチャンスがあれば、いつも僕はやっています。コンコルディアの家の内装をYouTubeで公開することをやめたらいいんじゃないか、と他の人に言われたことがあります。「持っているものを見せたり、そんなに下品なことをしなくてもいいんじゃないのか」ってね。それに対して僕は、「ソフトで優しく、ポジティブで、我々の価値観を広めることができるやり方があると思う」と言いました。僕自身がインターネットで何か見るならそういうものを見たいし、僕が見たいと思うようなものを作りたいと思いました。むしろ、よく他の人たちがやっているロールスロイスや時計のコレクションとかを見せびらかすのとは対照的なものになったらいいと思いました。僕がいつも広めようとしているのは、美学や美に関して、この世界はとても厳格な基準を持ちうるということだ。もし僕がそれに対して別の選択肢を提供できるなら、そのために僕はいます。というのも、美や特定の価値観を提示する方法には、そこに必ず偏見が存在します。偏見です。それが提示可能な唯一の有効な選択肢として存在している。僕は言いたい。標準的な価値観に自分を反映させることができない人々が別の選択肢を持つために、その人たちが興味を持つかもしれない他の選択肢がここにあるとね。それが僕の目的です。
—— クリエイションの透明性に関して言えば、コレクションノートには環境認証を取得した素材を使っていることや環境に対する配慮についても書かれています。
リック はい、取り組んでいます。その努力が好きだから。その努力には名誉のようなものがあるような気がしています。ただ僕は皮肉屋で、世界は手遅れじゃないかと思っている面もあります。どうせ皆死んでしまうんだから、実際の所どうでもいいんじゃないかというね。でも、世界を思いやることはいいメッセージです。思慮深く、親切で、思いやりがある態度は素晴らしいことですよね。だから僕はその方向に行くためにできる限りのことをするつもりです。でも、さっきも言ったように、もう手遅れかもしれないけど(笑)。
—— 贅沢さの定義という文脈で、杉本さんは著書で千利休に言及されていました。利休が生んだ侘茶のスタイルは、当時、多くの人がネガティブに感じていたものに美を見出しました。質素で、朽ち果てた、飾り気のない、不完全な、儚いものです。リック・オウエンスのクリエイションと重なるものを感じます。今やファッションで「ラグジュアリー」という言葉を聞かない日はありません。リック、あなたにとってラグジュアリーとは何ですか?
リック 空間と時間ですね。空間と時間のプロポーション。その大きなプロポーションの贅沢さ。この場所のプロポーションはラグジュアリーです。時を止めて佇むことができるのは、もっともラグジュアリーだと思うね。それにしても江之浦測候所の庭園は最高です。これ以上のものは想像がつかないな。
杉本 ありがとう(笑)。
—— 最後の質問です。もし杉本さんにとっての江之浦測候所のようなもの、例えるならリックオウエンスの遺跡を作るとしたらどんなものにしたいですか?
リック 儚いものがいいね。ユリの香りが漂い、アイスクリームのような味がする霧の中からぱっと出現するようなものにしたい(笑)。
杉本 それはいいな(笑)。リック、そろそろ下の化石を見に行こうか。
リック 行きましょう。
リック・オウエンス 1994年にファッションブランド「Rick Owens」をスタート。2003年に妻でビジネスパートナーのミシェル・ラミーとパリに移り、以来同地でコレクションを発表している
池田亮司 1966年生まれ。パリと京都に拠点を置き活動。聴覚と視覚の領域を横断しながら制作を続け、電子音楽の作曲を起点に、パフォーマンスとインスタレーションを合わせた作品体験を提示する
杉本博司 1948年生まれ。現代美術作家として活動し、分野は写真、建築、造園、彫刻、執筆、古美術蒐集、舞台芸術、書、作陶、料理と多岐にわたる。2010年に紫綬褒章賞を受賞、17年に文化功労者に選出
<注釈>
*1 2023SS「EDFU」、2023AW「LUXOR」はエジプトのエドフ神殿とルクソールがコンセプトだった
*2 アイルランドの詩人、ウィリアム・バトラー・イェイツが日本の能に影響を受けて創作した戯曲
*3 ラテン語で「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」という意味の警句
*4 パリ・オペラ座でコスチュームデザイナーを務めたのは、カール・ラガーフェルド、イヴ・サン=ローラン、クリスチャン・ラクロワ、リカルド・ティッシなど
*5 杉本が再建した直島の護王神社は、古墳が作られなくなった7世紀後半の伊勢神宮の様式の神明造と古墳の構造を組み合わせた杉本独自の構想が元になっている。このプロジェクトの過程で杉本は古来の建築技法と、現代の素材の組み合わせを探求し、その結果は江之浦測候所にも見られる
*6 リック・オウエンスの家具は2005年に発表。その後2007年にコレクションとして発表している。2017年にはMOCA(ロサンゼルス)にてミシェル・ラミーがキュレーションを行った展示を発表
MORE RICK OWENS
PHOTOGRAPHED
BY DANIELLE LEVITT
フォトグラファーのダニエル・レヴィットによって撮影されたリック・オウエンスのコレクションビジュアルブック。2014年にパリで発表された春夏コレクション「VICIOUS」のランウェイショーから始まり、10年という時間の厚みを感じさせる重厚な一冊