継続が生み出す循環
ボルネオでの経験は、日本での日常に戻ってからも頭のどこかにあったと元は言う。
「ボルネオは川沿いに家が建っていて、そこで暮らす子どもたちはその川の水で歯磨きをしていたんです。日本から行った私たちからしたら、何が流れているかわからない川の水で歯磨きなんて大丈夫なのかな、と思ってしまうけど、現地の人たちは自然と上手く付き合い、暮らしているんだなとも感じて。その記憶もあったので、日本に帰ってからは自分の家から出る生活排水がどこに流れていくんだろうと考えるようになりました。私が子どもの頃の奄美では、山の水を生活用水として使っていて、蛇口をひねるとたくさんの川エビが水と一緒に出てくることもあったんです。それが私には当然のことで、『大きくなったら私たちの糧にさせてもらうね』と言いながら川に帰していた。ボルネオも奄美もそうですけど、人間と動物、自然がひとつの循環の中で共存しているんですよね。だからこそ、害になるものを排水として自然の中に流したくないという気持ちがより大きくなったし、サラヤさんのヤシノミ洗剤がどのように作られ、その裏でボルネオの自然のためにどんな活動が行われているかを知ったからこそ、少しでも地球にやさしいことをしていきたいと思うようになったんです」
浜端はボルネオを二度訪れたことで自分の価値観が大きく変化したと言う。
「僕はミュージシャンですから音楽が自分の中でとても大きなものとして存在しているんですが、ボルネオもそれと同じぐらい大切なものになりました。サラヤさんが参加しているボルネオ保全トラストという環境保全団体の会合が日本であれば参加させていただくこともありますし、自分なりにボルネオのことをいろいろ調べてみたり。日本で日常を送りながらもいつも頭のどこかでボルネオに思いを馳せているんです」
そして浜端は自分とボルネオを出会わせてくれたサラヤという企業に対しても特別な思いがあるという。
「90年代以降、地球規模で環境問題について考えようという流れが生まれてきましたけど、サラヤさんはそもそも会社を設立した当初から人と地球のことを思った商品を作り、地道にそれを広めてきた。その功績がまず素晴らしいし、ヤシノミ洗剤をきっかけに取り組み始めたボルネオの問題に対しての姿勢に潔さを感じています。企業としてボルネオのためにこんな取り組みをしているんですよと伝えるなら、たとえば、原生林が伐採されて自由に移動できなくなった動物たちのためにプランテーションだった土地を買い戻して再生させた森や、孤児となったオランウータンやゾウのための保護施設だけを見せればいいと思うんです。でもサラヤさんは自然破壊の原因となっているプランテーションの収穫の様子やそこで働く人たちの姿も僕たちに見せてくれた。そうするとプランテーションはただの悪ではなく、そこで暮らす人間が生活していくために必要なものだということもわかった。だからこそ今起きている問題を解決することがいかに難しいことかも突きつけられた気がしました。何も包み隠さず、すべてをより多くの人に知ってもらいたいという意志。そこに僕は惹かれるんです」
そして、サラヤは心からボルネオを愛しているように感じると元は言う。
「サラヤさんで働く人たちは本当にボルネオのことが好きなんだなとひしひしと感じるんです。現地調査も人任せにしないで、積極的に自分たち自身で足を運び、何が問題なのか、どんな解決策があるのかを社員一人ひとりが理解し、納得した上で働いているように思います。だから都合の悪い部分を隠すこともしないし、企業経営と環境問題への取り組みを並列に考えている。そういう企業が作る商品はやっぱりすごく信頼できますよね」
だからこそサラヤという企業、そしてその商品の魅力も誰かに伝えたくなるのだと浜端は言う。
「自分が世の中に対して大きな影響力を持つ人間だとは思いませんけど、自分の近くにいる人たちには何かしらを伝えていきたいと思っているんです。だいぶ前のことなんですが、行きつけのバーのマスターの手がすごく荒れていることに気づいたんです。本人は職業柄しょうがないよと話していたんですが、僕が『ヤシノミ洗剤は手肌にいいですよ』と伝えたら、本当にヤシノミ洗剤を試したようで、『ヨウヘイ、これ使ったら全然手が荒れなくなったよ』と言って、インスタにも写真を投稿していたんです。他にも、僕はラジオでよくサラヤさんの話をしていたんですけど、あるアウトドアメーカーのイベントにライブ出演した時に出展されていたサラヤさんのブースに顔を出したら、そこにいたひとりの社員の方が『ヨウヘイさんのラジオを聞いてサラヤのことを知り、就職したんです』と言ってくれて。そういうふうに自分の周りから少しずつでもサラヤという企業、その商品を知る人が増えていくことで、それがいつか何かを変えていくことに繋がるかもしれない。そんな良い循環をどんどん作ることができたらいいなと思っているんです」
一人ひとりが持続可能な範囲で地球のことを考えて生活していくこと。SDGsという言葉のもと、ここ数年そんな声がよく聞かれるが、そうした考え方が今、着実に広がっているように元は感じている。
「人は頭ごなしにこうしなさい、ああしなさいと言われるとストレスを感じてしまい、反発的になってしまうところがあると思うんです。でも今の時代はSNSも含めて、何かを発信する場所も方法もどんどん増えている。だから本質的には同じメッセージかもしれないけれど、その伝え方が多様化しているからこそ、私たちは自分に合った考え方や価値観を素直に受け入れていくことができるようになったと思うんです。サラヤさんはそんなふうに人々が自分なりに考え、行動を起こしていく未来を見据えて、長年ボルネオでの活動を続けながら、商品を作り続けてきたんだと私は思います」
未来を信じ、自分たちにできることをやり続けていくサラヤの姿勢に感銘を受けた。
元と浜端もまた、自分たちの生業である音楽という形で、自分にしかできないことをやり続けていきたいと考えている。
「私はずっと“命”というものについて歌ってきました。そんな私の歌には生まれ育った奄美で培われたものもたくさん込められているけども、ボルネオでの体験もとても大きな影響を与えてくれたと思っています。命や地球のことを考えた時に、そこに明確な答えを出すことのできる人はいないし、そもそも答えを出すことなんてできないと思うんです。ただ、私は自分の経験や思いを歌にすることで考え方の選択肢を聴き手に提示することはできるんじゃないかと思っている。そして、歌というのは常に同じ形ではなく、歌い手である私、そして聴き手が日々何を見て、何を感じたかによって、歌詞の言葉の持つ意味が変わっていくこともある。だから私の歌の旅は終わることはないんです」
浜端が続ける。
「音楽も実はサステナブルなものだと思うんです。ひとつの答えや目標を設定してしまうと他にも存在する様々な可能性を奪ってしまうけども、常に柔軟な姿勢で物事を捉え、自分の中で消化してそれを音楽にしていく。そうしたら自分が思いもしなかったものが生まれるかもしれない。サラヤさんがやろうとしていることもそうですよね。何かを押し付けるのではなく、商品を受け取る僕たちが新たに考えるきっかけや可能性を提示してくれている。そんな音楽の在り方を自分も模索していきたいです」
元ちとせ 1979年鹿児島県奄美大島生まれ。2002年、「ワダツミの木」が大ヒット。インディーズデビュー20周年を記念した『トコトワ〜奄美セレクションアルバム〜』が発売中
浜端ヨウヘイ 1984年京都府生まれ。2019年にシングル「カーテンコール」でメジャーデビュー。自身のYouTubeチャンネルでカバー企画「浜端ヨウヘイの名曲宝箱」を毎週更新中
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