現在も地元・神戸市在住で音楽活動を続けている tofubeats。 彼がクリエイティブな影響を受ける神戸のスポットを巡りながら、 創作の原動力となる街のランドスケープについて考える
PHOTOGRAPHY: TAKAGI MASAYA
TEXT: INO SHIN
INTERVIEW|神戸の坂道で
神戸のベッドタウンである西神ニュータウンで育ち、インターネットを介してクラブミュージックに出会い、やがて世代を代表するミュージシャンの一人となったtofubeatsは、「神戸に住み続けることは与えられたカードの一枚」と表現する
取材の待ち合わせ場所である神戸市灘区の横尾忠則現代美術館に現れたtofubeatsは、「自宅の近所でこういう仕事は滅多にないですけど、楽で良いですね」と笑う。
メジャーデビューしたのは六年前、その後現在に至るまで神戸在住を貫いているが、上京しなかったのは「本当にたまたまだった」という。東京の就職先が決まっていたにも関わらず、胃潰瘍を患ってしまい、療養のため上京を断念。地元である神戸を拠点に音楽活動を続けることを選択した。快復してからも、そのまま神戸での生活をキープしながら、東京や他の都市への移動を続けている。
「意識的に居るというよりは、地元だからというのが大きくて、どちらかというと与えられた条件を大事にする、みたいなことの方が大きいかなと思います。長いこと東京にも仕事部屋を借りてますし、“神戸だけで作りました”ということが自分の音楽にとっての要件ではないというか、神戸に居なくても同じ音楽は作れると思います。でも、自分が持ってるカードとして、神戸で生まれて住んでいるということがあるので、だったらそれをどう活かすか。こういう声だし、見た目だし、そうした条件の一つとして“神戸に住む”ということがあって、そのために掘り起こしてきた部分が愛着になっています」
その愛着のひとつは、神戸という街の「地形」だ。「こんなランドスケープは他にない」と本人が言うように、山と海に挟まれた横長に細い土地である結果、急な勾配の坂道と切り離せない。
「坂を歩くのは好きですね。坂道を歩いてる時にアイデアが湧いてくるから、勾配があることが自分的に大事っぽい。山登りまではいかないですけど、ちょっとした負荷をかけて歩くとアイデアが出てくるのかもしれない。だから行き詰まったりすると、いつも散歩してます。でも、このあたりは普通の自転車では生活できないですよ。以前は病気の療養ということで、もうちょっと丘の上の方に住んでましたが、逆にライブ機材を家まで運ぶのがキツくなって引っ越しました(笑)」
実家のある西神ニュータウンを離れて神戸市の中心地に引っ越してきたのが8年ほど前。神戸での生活は、創作について考え抜くための静かな時間を提供してくれる。「他の場所で人と交流して生まれるものってもちろんあると思うんですけど、 結局作品は一人で出さなきゃいけないわけです。“自分の持ってるカード”という考え方もそうですが、何かが突 然降りてくるみたいなことじゃなくて、自分が普段思ってることや考えていることをしっかり切り取って、それを並べて整理しないといけないと思ってるタイプなので、そういう作業が必要になります。人と喋るよりも自分と喋るというか、自分でも気づいてないことにどう気づけるか、引き出せるかの勝負になってくるので」
昨年リリースしたアルバム『RUN』は、はじめてゲストボーカルなしで制作された。デビュー当時のインターネット礼讃的な開放感は薄れ、より内省的な印象になっている。「いまやインターネットは諸悪の根源みたいなことになってきてるし、自分が良いと思ってたものがやっぱり良くないかもしれない、じゃあどうすればいいんだろうと。でも、こういう時代だからこそ、横尾忠則さんもそうですけど、先人のことを知るのは大事だと思うんです。最近、兵庫県立美術館(神戸市中央区)で見た『JAPAN KOBE ZERO』展に12ても感銘を受けました。かつて榎忠さんも参加していた1970年代の前衛的なアーティストのグループの回顧展でしたが、そういう人たちが辿ってきた道を知ることが、現状を突破するヒントになったりするんじゃないかと思います」
START UP with KOBE
神戸市は現在スタートアップ企業と様々な取組を行い、起業しやすい街の実現を目指している。神戸に住み働くことの魅力をtofubeatsの音楽と共に紹介するムービーを公開中。「START UP with KOBE」で検索!