世界屈指のクライマー山野井泰史・妙子夫妻によるギャチュンカン登頂の記録を、沢木耕太郎が描いたノンフィクション『凍』が、この春新たに登場した音声コンテンツサービス「SPINEAR」にて連続ドラマとなって配信開始された。配信を記念して、Coyote no.65(特集 一瞬の山 永遠の山)に掲載した山野井泰史の貴重なロングインタビューを全3回にわけて特別公開。(2018年5月取材)
山野井泰史は妻の妙子と二人、土地に根ざしたシンプルな暮らしを続けている。
これまで数々の困難な高所登山、クライミングを成し遂げ、
その代償として手足の指を10本失くした今もなお現役を貫く。
誰かのために登るのではなく、ただ登ることが好きだという一心な想い。
垂直の世界から学んだ豊かな叡智をここに具体的にひも解いていきたい。
写真:朝岡英輔 文:奥田祐也
外側への意識
—— 冒険も時代とともにその性質が変わってきています。その背景にはテクノロジーの進化が影響していますが、今の時代は自らに制約を課しておこなう冒険がほとんどです。
山野井 ひと昔前だったら、ただ南極点にたどり着けばよかった。それが今の時代は無補給だとかGPSを使わないだとか、色々と自らに負荷をかけなければ冒険にはならない。ただ、「私はGPSを使いません。私は無補給で行きます」という外に対しての意識がある。
—— 外に対しての意識ですか。登山にしても、単独無酸素という本来自身に課したはずのスタイルが対外的要素になっている気はします。
山野井 去年インドヒマラヤに遠征に行った時の話です。ヒマラヤ登山隊には通常登山連絡官がベースキャンプまで同行して、遠征が滞りなく行われているか監視することになっています。その時のインドの登山連絡官がライター業もされている人で、熱心に僕の話に耳を傾けて何度も「あなたのことを書きたい」と言ってくれました。彼は遠征の後に本当に僕の話を書いて送ってきてくれ、それが最終的にアメリカの山岳雑誌『Alpinist』に載ることになったんです。なかでも彼が特におもしろがってくれた内容というのが、僕がチョ・オユー南西壁を一人で登った時のエピソード。単独無酸素で8000メートル峰の新ルートから登頂を果たして下山している時に、ノーマルルートをトライする隊とすれ違った。そのうちの一人が僕にお茶を勧めてくれたんです。その時一瞬、「ここで勧められたお茶を飲んだら、僕の単独登攀は成立しないんじゃないか?」って頭をよぎった。だけど、勧められているものをここで断る必要性はない。もし登山史のなかで「あいつは単独登攀じゃなかった。なぜなら他の登山者からお茶をもらったから」と言われたって、そんなの関係ないよね。僕はチョ・オユーを登って降りてきて、お茶を勧められたから飲んで、それで幸せなんだから(笑)。そこに変なルールは持ちたくないという話を登山連絡官にしました。それは今でも変わらない思いです。結局みんな外に対しての意識がありすぎると思う。登山の世界も冒険の世界も。要はチョ・オユーを登って降りてチベットからおんぼろのトラックに乗って帰ってくる時に、その登山を振り返ってみて幸せだったかどうか、その気持ちがすべてでしょ? たぶんそこで、「単独登攀だからお茶をもらわないよ」と断って帰ってきたら、僕はきっとそこでは幸福感を得られなかったような気がします。だから、貰っておいてよかったなって今でも思います。
—— 基本的には「~してはいけない」というのがクライミングのゲーム性ですからね。
山野井 それで成立しているんでしょうけどね。だからトランシーバーを使いたくないとか、シェルパを使いたくない、フィックスロープ(固定ロープ)を使いたくないとか、僕にもありますよ。でもそれはあくまでルールというよりも、これをするとたぶん自分にとって幸せな登山で終わらないということがわかっているから、やらないと決めているこだわりなだけであって、対人的なものではありません。だから酸素ボンベを使わずに無酸素で8000メートル峰を登っているのも、やっぱりこの生身の体でハァハァ息切らしながら、低酸素で乾燥した薄い空気を胸に出し入れする呼吸の音を聞いてみたいし、相当息苦しいけれど、その呼吸の音を聞きながら真っ白な山頂に向かっていきたい。かっこつけて言うわけでもなく本当にそう思っています。
—— そして実際に何度も8000メートル峰を無酸素で登られている。その時の呼吸の感覚とはどんな感じなんでしょう?
山野井 傾斜の緩いところでしたら、ジョギングしているくらいの息苦しさはありますが、そこまで苦しくはありません。単に体が動かずスピードが出ない。ただ急に傾斜のあるところを登るとそれはもう息苦しいし、あまり激しくやると、ブラックアウトみたいな状態にはなります。
—— そしてその先の極限状態まで実際に体験されている。例えば2002年にギャチュン・カンを登った際には目が見えなくなってしまったり、幻覚が見えてそこに存在しないはずの人と会話をしていたり。
山野井 まあそういう体験も含めて、「俺はこの地球上に生きている! 俺は生命体として踠きながらここにいるんだ!」という思いを強く感じます。
—— でもそれは本当に体験した人だけのものですね。山野井さんの著書を読んでみても、私たちはその感覚を本当の意味で理解することはできない。
山野井 そうかもしれません。高所から下山するときも、実際は疲れ果ててエネルギーが無くなるようにベースキャンプにたどり着くわけではないんです。ベースキャンプにたどり着くと、標高が下がって体の細胞が元気になってくるのがわかる。肉体はもうボロボロなはずなのに、すごく爽やかな気分になってくるんです。
想像する力
—— 次に登りたい課題の見つけ方が独特ですよね。例えば本のなかの1枚の写真から対象を見つけ、そこを登るルートを見出す。1枚の写真を見て、まったく手がかりのない状態からどのように計画を立てて、それが本当に登れるものなのかどう判断して実行に移すのですか?
山野井 その写真を見てピンとくるかどうかは人それぞれでしょうが、1枚の写真に写る岩に自分がしがみついた時の感覚や気持ちをまずは想像します。それが名も無い岩壁だったとしても構いません。ここに入っていけば気持ちよくなれそうだなって思ったら計画を立て始める。よく一緒に登る友人から「山野井さんはクライミングに関しても言えるけれど、特別天才肌ではないと思う。ただ目標を定めた後に、自分がその目標に向かって何をしなければいけないか、計画を立て始めてから下山して一息つくまでの半年から1年のこの一連の流れを計算するのが上手ですよね」と言われたことがある。自分で言うのは恥ずかしいけれど、確かにそれは得意だと思います。山を見て、自分に何が足りなくて何をしなければいけないか、心肺機能を高める、足の筋肉はここらへんが足りない、どんなギアを使ってどんなタクティクス(攻略法)で登ろう、精神的な部分だとたぶんこういうふうに追い込まれるだろうから、こういう精神状態をつくりあげていこうとか、そういう目標に向けた計画立てが得意。というか1年中それしかやっていないですからね(笑)。他のことや社会生活のことは本当に考えていない。
—— 自分が岩にしがみついている姿を想像する。それは自分を俯瞰して見つめているということでもあるのでしょうか?
山野井 例えば酸素ボンベを背負わずにソロで登ったほうが絵柄的にかっこいいんじゃないか、と思ったりすることはあります。でも、こういう登山を続けてこういう生き様を貫いたらかっこいいよな、というふうに思ったことはまったくないです。それは第三者を意識した考え方。昔誰かから「あえてテレビに出ないことでかっこいいと思われたいの?」と言われたことがある。そうじゃなくて…って思うんだけれど。いい山が見つかった、自分がそこにいる、そしてそこはすごくいい登山ができる、じゃあ頑張ろう。本当に40年間それしか考えていない。だから、俯瞰して見ているとかそういうのではないような気がする。自分だけにフォーカスしているわけでも、周りを意識的に見ていないわけでもなく、他のことに興味がない(笑)。
—— 先ほどの危険を察知するセンサーの話もそうですが、想像する力が秀でているんでしょうね。
山野井 そうかもしれません。想像することは好きです。ただ、これだけ経験を積んでくると、これから初めて登りに行く山でもどんな状況になるのかがだいたい想像ができてしまう。こういう岩や氷に出会い、山頂直下ではおそらくこういう状況で、どういう息遣いで自分は登っているだろうっていうのが想像つく。それって登山の楽しみとしてはかなり失われていますよね。本来なら目の前の景色にいちいち感動したり、この壁はいったいどこから登るんだろうか、本当に自分に登れるんだろうか、脆いんじゃないだろうかと不安になって思い悩んだりすることが登山の楽しみの一つだと思います。でもそういうのも含めてだいたい僕は予想できてしまう。それってもしかしたらすごく淋しい話で、登山を突き詰めるほど本来の山の楽しみが失われていく。自ら楽しみを奪うようにできてしまっている。でも実際はそれ以上に、登山や自然というのはいろんなものを僕たちに与えてくれるのですが。
—— 登山の行程を想像できてしまうということは、実際に登っている山よりもはるかに多くの登山を心の中でシミュレーションされたのでは? エベレストの登攀を具体的に思い描いたことはありますか?
山野井 今はいろんな映像や写真や本がありますが、エベレストのあの人の多さとベースキャンプの雰囲気というのは容易に想像できてしまう。そうすると僕は行けないな。僕が全盛期の頃、エベレスト最難ルートといわれる南西壁を一人でやってみようと思ったことがありました。その時にやっぱりエベレスト南西壁をやるには、氷河帯はラダー(梯子)を使ったりしなければならなくて、他にたくさんの人が右往左往している氷河帯を通って一人で南西壁を登り、おそらく南峰のノーマルルートに合流するんですけど、そこでまたたくさんの人と合流する。そしておそらく南西壁を降りるのは不可能だろうから、一般的なローツェフェイスというルートを降りてくることになるのですが、そこにはフィックスロープがいっぱい張ってあるわけで、そう想像してみたら南西壁自体を一人で登ることはすごいことなのでしょうが、後半の部分がどうも自分にはしっくりこなくて、南西壁からの挑戦はパスしました。ならば冬のエベレスト北壁を一人でできるかと言われたら、それも想像してみて自分の肉体と技術では到底登頂できないレベルだということがわかるので行かない。エベレスト東面というのがチベット側にありますが、それもあのセラック帯を一人で行くのは技術的には難しくないけれど、無数にクレバスが走っているので途中でクレバスに落ちて死ぬ危険性がある。だから行けない。そういうふうにシミュレーションしていくと、エベレストで興味のあるルートがなくなってきてしまった。だったらわざわざ無理に見つけようとしなくてもいいやって思った。近くにいい山はいくらでもあるわけですから。こうやって座ってぼーっと山を想像している時が楽しいです。
自分だけの宝物
山野井 それにしても今の時代、どこのハイキングルートだって膨大に写真が出てくるのはすごい。
—— 最近はドローンもありますし、ここ10年くらいで山の記録方法や映像表現が飛躍的に進化したと思います。
山野井 だけど僕は山というのは仰ぎ見るものであって、上から見ちゃいけないんじゃないかってつい思ってしまいます。わが家から見えるあの御前山は標高1200メートルくらいあるんですが、ここからでも6、700メートルの標高差がある。やっぱりその遠さを山には感じるべきであって、上から映像で見て楽しいのかなと思う。もちろんすごい映像だとは思いますが。それによくクライマーを上から撮りますよね。確かにそのほうが表情もわかるからかっこいいし、下から撮るとお尻しか見えない。だけど上に向かっていく行為なんだから、見てる人は下からでいいんじゃないかなって時々思う。山もドローンで上から撮ると、山に神様がいるだとかそういうのはあまり気にしないけれど、ちょっと山に失礼な感じがする(笑)。
—— ご自分が登った山を何かしらの方法で記録したい、自分のものにしたいという願望はありますか?
山野井 あまりないです。自分の書いた文にもさほど思い入れはないですし、何かを残すということに興味がない。山での体験を発信すると何か良いことが生じるの? 例えば、発信することで有名になったり、お金が発生したりするのかもしれないけれど、有名になると登っていくうえではかえってマイナス面のほうが多いんじゃないかとは昔から思っていた気がします。発信することで指の力が1.5倍になるというならいくらでも発信しますよ(笑)。随分いろんな媒体に出ちゃいましたが。
—— 最近では多くの人が登山の写真をInstagramなどのSNSで発信しています。
山野井 それはなんで載せるんだろう? それこそ、昔よくギャチュン・カンで凍傷になりながら生還した話をみんな聞きたがった。写真を見せてくれだとか言われて人に説明しすぎちゃうと、強烈なギャチュン・カンの良い思い出がどんどんなくなっちゃう気がしてつらい(笑)。せっかくの大切な思い出だから自分だけのものにしておきたい。まあそれは個人の性格にもよると思いますが、発信しても思い出が失われない、むしろ膨らんでいく人もいるのかもしれないけれど、僕の場合はたぶん共有したり発信することで思い出がどんどんちっちゃくなって、小さな登山になってしまうような感じがしてしまう。だからあまり発信したいとは思わない。
Coyote No.65
特集:MOUNTAIN STORIES 一瞬の山 永遠の山
2018年7月15日発売
価格:1,200円+税
連続ドラマ・沢木耕太郎『凍』について
作家・沢木耕太郎によるノンフィクションの名著『凍』。世界的なクライマー、山野井泰史と山野井妙子による、ヒマラヤの難峰ギャチュンカン登頂挑戦の記録と記憶。風雪、幾度もの雪崩、直面する死の氷壁……。想像を絶する困難に立ち向かう二人の生死を分けた決断とはーー。絶望的な状況から生還を果たす人間の精神と肉体の物語を、連続ドラマ化。
ご視聴はこちら▷https://spinear.com/shows/sawaki-kotaro-tou/
「SPINEAR」について
SPINEAR (スピナー) は世界中のハイオクリティーな音声ドラマ、ドキュメンタリー、コメディ、ニュースやSPINEAR が独自に製作したデジタル音声コンテンツを提供するサービスです。SPINEARおよび、Apple Podcasts、Google Podcasts、Spotify などの主要リスニングサービスにおいてコンテンツを聴取いただけます。